長谷川一男(テレビ番組ディレクター)肺がん余命宣告から6年

テレビ番組ディレクター長谷川一男(はせがわかずお )さんは横浜市在住の45歳。

2015年に肺がんの患者会を立ち上げました。

6年前、ステージ4の肺がんと診断され、余命10か月と宣告されつつも、生きる可能性を求めて、化学療法や放射線、外科治療など、さまざまな治療に挑んでこられているのですが、長谷川さんを支えたものの中で「がん哲学外来」の存在は物凄く大きかったようです。

そんな長谷川一男さんの特集が2016年にNHKで放送されました。

ここでは番組内容と合わせて、2015年に立ち上げたNPO法人「肺がん患者の会 ワンステップ!」についても調べてみました。

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長谷川一男さんの今現在と病歴について

引用:http://www4.nhk.or.jp/

2018年の長谷川一男さん

わたしがテレビで長谷川さんの番組を見たのは2016年。

それから2年後の今年、そしてがんが発覚してから8年たった今現在も、お元気にNPO法人活動をなさっています。

 

『8年経ちました。ご家族は、どのように言われているのでしょうか?お母さま、奥さま、お子さんたちの様子や、長谷川さんにかけられる言葉などから、教えてください。』

あんまり病気のことは話さないですよ。
ちょうど8年を迎えたとき、たまたま隣にいた娘には、「今日でちょうど8年たった」と伝えました。
「いままでどうもね、これからもよろしくね」と伝えると「こちらこそよろしく」と言われてうれしかったです。

引用:https://www.millions.life/interview2607/

病歴

  • がん腫:肺腺がん
  • ステージ:ステージⅣ
  • 闘病時期:2010年頃(発覚が30歳頃)から
  • 2016年4月現在:闘病中

受診からがんであることを知るまでの経緯

ある日、今まで経験した事のないような酷い咳に襲われ、数日は何とかごまかしながら過ごしていましたが、咳は何をしても止まりません。

そのうち、首のあたりが見た事のないような腫れ方をしてきて、何かががおかしいと思い、夜中に地元の救急病院に駆け込みました。

検査が進んでいくうちに、どんどん大がかりになってきて、先生もお若い方からベテランの方へ変わっていたんだそうです。

そして写し出されたCTの画像を見たときに、右の肺の下に雪だるまのような影があり、自分が尋常ではない状態である事がわかったと。

その時のお医者さまからの言葉は、「肺炎の可能性がある。はっきりしたことはわからない。」というものだったそうですが、診察・治療をパキパキと進めるわけでもなく、苦渋に満ちた表情で、それを見ていた長谷川さんも、どうしていいかわからない、変な沈黙になったのだそうです。

そのときの様子を

医師は一目で肺がんとわかっていた。しかもかなり進行した状態。
しかしながら、CT撮っているだけだから確定診断ではない。
それは、生体検査をして病理医ががんと判断してからつく。
患者は具合が悪いとたった今駆け込んできた。
そんな人間に確定診断もなく、進行したがんとは説明できない。
つまり、ほぼ100%がんとわかりつつも、それを説明できない状況にあったというわけです。

と、振り返っていらっしゃいます。

このままいくと、詳しい検査をするために入院するという説明になり、状況がうやむやなまま進むことだけははっきりとわかったそうですが、「分からない」という事が1番嫌なこと。

その状態のまま、1週間10日と時間が空くなんてことは耐えられない。

だから最終的には、先生の口から「がんの可能性が高いです」という言葉を、その場で聞きだしたのだそうです。

そしてその後、極度の緊張で4日間くらい一睡もできなかったと。

体調が悪く入院中なので、病気のことを本やPCで調べることもできない。

その時間は、経験したことのないつらい時間だったそうで、「がん」という事実だけはわかったけども、なにもできず、緊張のまま時間が過ぎていったそうです。

「人は生きてきたように治療する」っていう言葉をご存知ですか?

何でも「知りたい!教えて!」っていうタイプの人もいれば、「お任せします」っていうタイプの人もいらっしゃる。

長谷川さんの場合は、良くも悪くも、なんでも知りたいタイプだそうで、ご自分で聴いて調べて、あきらめるのではなくしっかり向かい合っていらっしゃいます。

がんと告知されてから

「がんだ。」と告知を受けてから、奥さまといろいろ話し合われたそうで、奥さまが、病気についていろいろ情報が貰える職場だったのでバンバン動いて、セカンドオピニオンをとるために築地のがんセンターに行ったり、情報を集めてきてくれたそうです。

しかし、あまり自分と近しい人じゃない人に相談した場合は、こちら側の状況も分からないので、役立つ助言はあまり得られなかったと。

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医師からもらった2種類の言葉。

病理検査の結果は、余命10ヶ月。
肺腺がん、ステージ4、余命は10ヶ月くらい、イレッサを使えるタイプではない(当時ALKはまだない)というもので、イレッサが使えないタイプと聞いたときには、あまりにショックで、個室にしてもらって、奥さまに泊まってもらったほどだったそうです。

*イレッサとは、「手術不能又は再発非小細胞肺がん」を適応とする内服の抗がん剤。

このとき、主治医、セカンドオピニオンで計3人の医師に意見を聞いて、病名とか予後とか、そのあたりの3人の意見は変わらないけど、今後の生き方に対しての言葉が全く違っていたそうです。

主治医とがんセンターの医師は「残念ながら治らない。今の一日一日を大切に生きてください。この病気はそういう病気です」と言い、目に涙を浮かべながら言ってくれたそうで、「はい、わかりました・・・」という気持ち。

ところが、3人目の医師は全く言葉が異なっていて、会ったった瞬間から態度も違っていたと。

診察室に入ると、まず私を頭から足の先まで見回して、「子どもはいるの?」と聞きます。

私は「小学生と幼稚園の子どもがいる」と答え、奥さまはその言葉を聞いて、泣き出します。

そのあと、医師は、
「人には役目がある。あなたは子供を育てるという役目があります。それをしなければならない。治りはしないが、ほんのわずかな可能性がないわけではない。戦いなさい。戦え。」と言ってくれたのだそうです。

そして、今やっている抗がん剤治療が効いた場合、状況によっては、放射線治療が可能になるかもしれない、と言われたと。

気持ちだけではなくて、具体的な戦い方を教えてもらったおかげで、病気で将来のない自分よりも、未来の自分=生きる希望のほうにフォーカスできたのでしょうね。

この時のことを長谷川さんは、目からウロコが落ちた気がしましたとおっしゃっています。

「可能性はゼロじゃない。戦っていい。」

と言われたことによって、流れに任すという感じから、情報を仕入れ、戦う姿勢に変わったそうです。

そして6年が経過した今、病気の治療中は一旦は仕事から離れられましたが、現在は少しずつ仕事をされているとのこと。

そんな気丈な長谷川さんも、闘病中には辛いと感じることがなかったわけではなく、
・肉体的にはお薬で毎日だるかったり
・精神的には、治療中の5年間は殆んど仕事ができず、自分が自分じゃなくなっていくように感じた時期もあるようです。

週5の通院で、1日2~3時間働き、具合が悪くなったら休む。と言うサイクルで少しずつ仕事をはじめたら月給5万円。

「あ、おれ5万円の価値なんだ」とおもったそうです。

また、NPOとかに参加し始めたころ、聞かれてもいないのに「俺テレビのディレクターなんだ」と過去の栄光にしがみついている自分に気がついて、「自分が思っている自分」と「現在の自分」のギャップにも随分悩まれたようです。

そういうことを乗り越えながら、2015年に立ち上げたのがNPO法人「肺がん患者の会 ワンステップ!」です。

「肺がん患者の会 ワンステップ!」とは?

ここでは3つの柱がメインになった活動をなさっていて、
1.仲間を作りましょう
2.知って考える(病気について、治療について)
3.発展・継承する です。

仲間を作ることによって、精神的な不安、薬や治療に対するお金の問題も含めた不安。
それらを共有することによって、不安を取り除くことだけではなく、治療の幅を広げる選択肢につなげたり、今後もし、同じ病気になる方がいらっしゃるとするならば、その方たちへ向けても「道しるべ」になるように、という思いから立ちげられています。

なので、そこに記されている長谷川さんのプロフィールには、年度ごとに行った治療や、使用した抗がん剤やクールについても簡単に記されています。

情報の共有がメインなので、もちろん入会は無料

⇒ 「肺がん患者の会 ワンステップ!」

がん哲学外来とは?

長谷川一男さんが感と知ったときに凄く助けられたというのが、「がん哲学外来」。

がん哲学外来とは、生きることの根源的な意味を考えようとする患者と、がんの発生と成長に哲学的な意味を 見出そうとする人との対話の場だそうで、書籍も出版されています。

 

●アマゾンで購入⇒ がん哲学外来へようこそ (新潮新書)

アマゾンの書評の中から、レビューを1部を紹介すると、

「もう、悩まなくていい。心配するのは一日一時間でいい」と。
がん患者が次々入っては、笑顔で出てくる外来がある。その名は「がん哲学外来」
治療の不安から人間関係の悩みまで、主治医には打ち明けづらいあらゆる相談に、がん専門の病理医である著者は答え続けてきた。
・「自分を心配するのは一日一時間でいい」
・「冷たい医師にもいい医師がいる」
・「がん細胞は不良息子と同じ」
・「何を望むかよりも、何を残すかが大切」

引用:がん哲学外来へようこそ (新潮新書)

こういった格言?的な言葉が詰まっているようです。

そしてこのがん哲学外来と言うのは、一般社団法人として都道府県各地に沢山散らばっていて、あちこちの地域で講演会も行われています。

⇒ がん哲学外来

また、このがん哲学外来では、がんの方をサポートするために「がん哲学外来コーディネーター養成講座」もおこなわれています。

まとめと感想

先日、別のテレビ番組で俳優の小西博之さんが、生存率2%の腎臓の末期がんを克服なった番組を見ていました。

手術を終えて、体調が安定して、退院なさって病院の外に出た時に初めて号泣したと。
もう2度と外には出られないという覚悟で手術をなさったようです。

でも、思うのは、生存率が2%あるのならその中に入ればよい。

自分に降りかかったことを運命だと受け入れることは凄く大事なことかもしれないけれど、それとあきらめることとは違うと思うのです。

日本に生まれたとか、男性に生まれたとか女性に生まれたとかは宿命。

それは変えることができないかもしれないけれど、運命は自分でいくらでも、何度でも方向転換しながら変えていくことができるはずなのです。

闇雲に戦うのではなく、自分の体や心をきちんと知って、あらゆる情報を集めて自分にぴったりの方法で戦っていく。

この気概があれば、98%の中に入る必要はないのではないかとおもうのですが、これは私がまだそれを経験できていないから外野として言えることなのかもしれないです。

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コメント一覧
  1. マッシュー 穴田みどり より:

    メールをありがとうございました。
    残念ながら、コンピューターの操作が、よくわからないので、本人に連絡する事が出来ません。
    多忙の中、お手数をかけさせてしまい申し訳ありませんでした。

    • 穴田さん
      お役に立てなくて申し訳なかったです。

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