クラウン林志郎さんは、ご自身の小児がんを克服した経験を元に、かつての林志郎さんと同じように、病気の子どもたちを勇気づけるために、九州の小児病棟を中心に、元気を届ける活動をされている方です。
クラウン()とは、英語圏で道化師の総称なのだそうで、林志郎さんの道化師名はシロップ。
道化師にはいくつかの種類があるそうで、有名なのはピエロでしょうか?
ピエロは、あえておっちょこちょいのふざけた感じの芸をして、馬鹿にされることで笑いを撮っていくのに対し、クラウンは、おどけた役で曲芸と曲芸のあいだをつなぎます。
また、ピエロとクラウンはメイクもちがっていて、ピエロのメイクには涙が付くのに対し、クラウンに涙メイクは施しません。
ここでは林志郎さんについて、プロフィールや経歴とともに、クラウンになったきっかけなどについてもまとめました。
林志郎さんの思いや活動がつまったブログについても調べてみました!
目次
林志郎さんのプロフィール
- 名前:林志郎
- 生まれ:1978年生まれ
- 出身:福岡県
- 6歳の時に急性リンパ性白血病を発症
- 3年間の化学治療(放射線治療と骨髄移植はなし)を経て20歳まで経過観察。
- 白血病を克服(寛解)
- 23歳でC型肝炎が見つかる
- 現在はSmileDays(スマイルデイズ)という団体を立ち上げて、精力的に活動されています。
- クラウン名:シロップ
- シロップのブログ ⇒ https://ameblo.jp/clown-syrup/
白血病との出会いから現在まで
林志郎さんは、4~5歳の頃まで股関節の骨にペルテス病を患って入院していました。
退院後も足に負担をかけないように、保育園に通う時は歩行補助装具を着用しての生活だったために、いつもバカにされていたそうです。
うまく走れない足で追いかけるけど追いつかなくて、小さいながらに、寂しかったり悔しい思いもたくさんしたそうです。
ただ、保育園では普通の子どもとして扱われ、小学校入学前には歩行補助装具もようやく外れて、1984年小学校へ入学。
普通の小学生として元気に通学して迎えた夏休み。
8月中旬頃から頻繁に鼻血が出るようになり、これが白血病の前兆でした。
2学期がはじまった10月31日。
小学校で行われたお祭りからの下校途中に、学校の敷地内で貧血をおこして倒れそのまま病院へ運ばてしまいます。
この時の血液検査で異常が見つかり、「急性リンパ性白血病」と診断されました。
これ以降、入退院を繰り返しながら化学療法や投薬治療をうけることになります。
この「急性リンパ性白血病」の5年生存率は平均して約40%程度と、幸いにも、他の白血病に比べて生存率が高いです。
さらに、小児の場合では約80%程度と、大人に比べて小児の方が治癒する可能性が高いことも特徴で、林さんもそのひとりです。
治療中は、抗がん剤の副作用で、髪の毛が抜けていじめにもあったりしたそうです。
いじめだけでも小学生にとっては辛いはずなのに、病気も克服できるメンタルや生命力の強さって、ご家族の愛情の深さとイコールのような気がします。
家族みんなで、志郎さんの回復と生き抜く力を信頼するという感じでしょうか?
こういった思いって、目には見えないけれど当人に届くし、本当に元気にシてくれるんですよね!
治療の甲斐があって、3年間の化学治療(放射線治療と骨髄移植はなし)を経て20歳まで経過観察した結果、白血病を克服(寛解)することができました。
成人した林志郎さんは就職。
やっと病気から開放されて、これからという23歳の時に今度は「C型肝炎」を患っていることが発覚します。
原因は、白血病治療時の輸血でした。
このC型肝炎の治療のため仕事をやめなければならなくなってしまいました。
このC型肝炎の治療の最中にSmileDays(スマイルデイズ)という団体を立ち上げています。
道化師(クラウン)を初めたきっかけ
https://ameblo.jp/clown-syrup/
林志郎さんの道化師名は「シロップ」。
林志郎さんが道化師に興味を持ったのは、闘病中の8歳の頃でした。入院中に見ていたテレビで、道化師のパントマイムを見てきょうみをもったそうです。
そして、闘病中の子ども達を元気づけたいと思った時に、この道化師のことを思い出し、「NPO法人博多笑い塾」で活躍する浜田歩さんから芸をおそわり、デビューしたのが2010年の10月17日でした。
こちらの塾では、様々な笑い芸やイベントが行われています。
クラウンシロップとしての林志郎さんの病院訪問履歴
クラウン(道化師)としてデビューした林志郎さんは、福岡の病院を中心に色んな所を訪問されています。
- 久留米留米大学病院小児科
- 九州がんセンター
- ゆうかり学園(田主丸)
- 国立病院機構小倉医療センター(小児科)
- 福岡大学病院(小児科)
- 佐賀県医療センター好生館
他にも、老人介護施設や障がい者支援施設などの社会福祉施設など、も訪問経験あり。
そしてこの病院訪問の1つが、TOP画像に使っている福岡県の大野城に2016年春にオープンした「うえだ小児クリニック」です。
院長がとっても優しそうです。
うえだ小児クリニック
- 住所 福岡県大野城市月の浦1丁目25-1
- 092-558-5755
- URL:http://ueda-child.com/
SmileDays(スマイルデイズ)について
SmileDays(スマイルデイズ)とは、久留米大学病院(福岡) 小児病棟のDr.I 先生の提案で、林志郎さんが中心になって1998年(H10年)7月26日に発足したされた九州初の小児がん経験者の会です。
SmileDays(スマイルデイズ)団体名称の由来は、「小児がん経験者が病いを乗り越えて笑顔(Smile)の日々(Days)であるように」との願いを込めて命名されています。
ブログ管理人たちが、SmileDaysのセルフヘルプグループ(自助組織)活動で感じたことや、学んだこと、疑問、日常のひとコマや、おもしろかったことなどををブログに綴っています。
そしてブログから、全国へ情報発信・情報交換や交流を深めることを目的として開設されています。
小児がん経験者たちとドクターが共同でブログの運営をしているのは、このSmileDays(スマイルデイズ)が国内で唯一です。
最近は更新が遅れているようですが、
ブログは ⇒ SmileDays(スマイルデイズ)
僕と白血病 “病を生きる力へと変える~” 看護学部講演より
林志郎さんは、ボランティアで病院を周るだけではなく講演会などでもご自身の活動や現場で感じたことを発信されています。
この、SmaileDays(スマイルデイズ)というブログの中に、国際医療福祉大学 福岡看護学部での講演レポートがUPされていて、その中の一文がこちらです。
“自分のいる場所で自分の命を輝かして懸命に生き抜く”そのことが大切なのだと思う。
本文はかなりの長文ですが、他にも沢山ジーンと感動する言葉がちりばめられています。
こちらをクリックすると全文が読めます。
⇒ 僕と白血病 “病を生きる力へと変える~” 看護学部講演より
林志郎さんの今現在は?
幼少期の林志郎さんは、闘病から復帰した学校でいじめに遭ったり、就職活動では病歴を理由に不採用になったり、また女性に病気のことを明かすと「重い」と距離を置かれて、恋愛が挫折したこともあるのだそうですが、2011年にご結婚していらっしゃいます。
奥様も3歳で小児がんを経験された方で、生活や出産には不安があったそうですが、お子様もいらっしゃるそうですよ。
まとめ
ここでは、6歳で発症した白血病を克服し、2007年以降、九州の小児がん経験者のリーダー的存在として、彼らが悩みを語り合う場をつくって活動されているクラウン「林志郎さん」についてまとめています。
白血病は、気力だけで克服できるものではないことは周知の事実です。
生かされた命を、かつての林さんと同じ境遇にある子どもたちに、元気になって欲しいとの願いを込めて活動する林さんの姿がとても印象的でした。
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