パラカヌー競技選手、瀬立(せりゅう)モニカさんご存じですか?
リオデジャネイロ・パラリンピックで新たに採用される競技、パラカヌーで出場枠を獲得した18才。
瀬立モニカさんは、日本人で唯一のパラカヌー日本代表の女子大生です。
パラカヌーには、3つのクラスがあるのですが、瀬立(せりゅう)モニカさんは、最も障害の重いクラスに属しています。
ここで気になるのが「モニカ」というお名前で、日本人に見えるけど、ハーフとかクオーターなの?って気になってしまいました。
なのでここでは、瀬立(せりゅう)モニカさんについて、ハーフ疑惑の名前の由来や、パラカヌーを始めたきっかけ。またリオパラでメダルを獲得出来そうかについて予測してみました。
目次
瀬立モニカ(せりゅうもにか)さんプロフィール
- 生まれ年:1977年11月17日生まれ
- 出身地:東京都江東区
- 出身中学校:江東区深川第一中学校
- 出身高校:宝仙学園校
- *筑波大学体育専門学群 在学中
- *所属:江東区カヌー協会
モニカさんはハーフなの?
瀬立モニカさんの「モニカ」という、カタカナのお名前は、そのまま本名です。
このお名前からハーフ?とかクォーター?とか、モニカさん自身もよく尋ねられるそうですが、生粋の日本人。
「モニカ」の名前の由来は?
モニカさんの名前を付けたのはお母様。
この「モニカ」という名前は、お母様のクリスチャンネームからつけられたものだそうです。
「モニカ」は聖人の聖アウグスティヌスの母親の名前で、聖アウグスティヌスは、聖人になる前は、放蕩の限りを尽くし、荒れた日々を送っていましたが、母親のモニカの辛抱強い愛により、自分を見直し聖人となった方だそうです。
子供に対する思い、献身的な愛情を持ってアウグスティヌスに接し聖人になるように導いた芯の強い母親のモニカにちなんで、命名されたものだそうです。
「モニカ」という名前は、イタリア、フランス、ドイツ、英語、スペイン語圏、のキリスト教徒に多い名前で、お母様自身、命名した時には、娘が海外に行っても大丈夫だな、と思ったそうですが、まさかこんなにモニカさんがみんなに受け入れられるとは、思っていなかったそうです。
特に、イタリア、スペイン、ドイツ、フランス人の方には、すぐに受け入れられ、世界での活躍を願い、モニカに命名して良かったな、と思ったそうです。
ちなみに8月27日は、「聖モニカ」の日だそうです。
モニカは、北アフリカのダガステで生まれ、キリスト教徒の両親に育てられた。パトリチオというローマの官吏と結婚し、3児の母(長男が聖アウグスティヌス)となるが、40歳のときに夫に先立たれた。
彼女は、息子アウグスチヌスの乱れた生活に心を痛めていた。
383年に、イタリアに行くアウグスティヌスに同行した彼女は、ミラノでアンブロジオ司教の弟子となり、彼の助けを得て、息子の回心のために祈りをささげた。モニカの熱心な思いが実って、アウグスティヌスもだんだんとキリスト教に心が傾き、386年に回心して洗礼を受けるに至った。
彼女は亡くなる前、息子に「わたしがもう少し生きていたかったのは、死ぬ前にカトリック信者としてのあなたを見たかったからです。神はこの恵みをわたしにくださいました。この世でこれ以上することがあるでしょうか」と言ったといわれる。
アウグスティヌスは、著書『告白録』のなかで、母の思い出を美しく描いている。出典:http://www.pauline.or.jp/
母親は外国人?
あと、クリスチャンネームを持つ、瀬立モニカさんのお母様自身が外国人なのか?という質問もよく受けるそうですが、お母様も生粋の日本人。
さらに「モニカ」と聞いて、お母様世代で思い浮かぶのは、吉川晃司さんの大ヒット曲「モニカ」。
なのでお母様への質問やインタビューで、吉川晃司さんのファンですか?と聞かれることも多いそうですよ。
私も吉川晃司のモニカ世代。
アマゾンで、お試し視聴できるので聞いてみたんですがほんと懐かしく元気になります。
多分、瀬立モニカさん世代は、ロマンスグレーの渋い吉川晃司さんしか知らないと思うんですけどね。
瀬立モニカさんがカヌーを始めた経緯とパラカヌーに転向した経緯
瀬立モニカさんは、中学時代はバスケットボール部に所属して、都の大会で3位に入るほどの強豪チームに所属していました。
そして、モニカさんの住む江東区には、カヌーの練習施設が三つあり、中学校合同のカヌー部があります。
瀬立さんは中学二年の時、教師に誘われてカヌー部にも入り、なんとバスケットボールとカヌーの2つのスポーツをしていました。
部活を2つ掛け持ちって、どっちかがおろそかになりそうな気がするけど、どっちもすごい成績で、感心する、というかその体力や気力には脱帽で、カヌーは、高校一年で都大会で上位に入ったほどです。
天気が訪れたのは、国体の選手選考会を前にした6月でした。
体育の授業で倒立前転をして回転した時、脳と胸椎を損傷してしまったのです。
それがきっかけで、下肢の筋肉に力が伝わらない「体幹機能障害」で、車いす生活に。
全国大会を目指すほど、体を思い通りに操れていた瀬立さん。
どれほど精神的に参っただろうと思うと、それを支えた家族、そして瀬立さん自身の頑張りは相当の者たったに違いありませんね。
そんな瀬立モニカさんを再びカヌーに誘ったのは、競技を始めたころから指導してきた区カヌー協会事務局長の小宮次夫(つぎお)さん。
「友達も いるし、遊びに来ないか」と、旧中川の練習場に呼んでくれたのだそうです。
そこでは、瀬立モニカさんのために、レジャー用の安全性の高いカヌーを用意し、転覆してもすぐにつかまれるよう、川をロープで区切って くれたそうです。
その時の瀬立さんは、下半身をコントロールできず、座った姿勢を保つのも難しい状態で「できないことを証明するために」カヌーに乗ったと、あとから語っていらっしゃいました。
ところが、
一年ぶりに水に浮かび、パドルをこいでみると、何とか十メートルほど進んだんだそう!
どれだけ嬉しかったことでしょうね。
この時に、「自分でもできるんだ」と実感そ、熱心に競技復帰を勧める小宮さんに「モヤモヤしていたのがフッ切れた気がする」とメールしたあと、地元で行われるパラ五輪で金を取ることを目標に、再び歩み始めたそうです。
パラカヌーとは?
「パラカヌー」とは「パラマウントカヌー」の略で、パラリンピックのパラの意味も含まれているそうです。
ちなみにパラマウントとは「最高の」という意味だそうです。
カヌーには、種目としてカヤックとヴァ―(アウトリガーカヌー)という2種類があります。
・カヤックとはパドル(かい)を左右交互にこぎながら前に進みます。
・ヴァ―は、カヌーの片側にアウトリガーと呼ばれる浮きが張り出した形をしていて、浮きの反対側のみをこぎ、前に進みます。
今回のリオ・パラリンピックで行われるのは、男女ともに200mのカヤック部門(KL1、KL2、KL3)です。←この記号は、カヤック+障害の重さによるクラス分けです。
*ちなみに2020年の東京オリンピックでのパラカヌーでは、ではカヤック部門、ヴァ―部門が採用される予定になっています。
パラリンピックの障害クラスについて
パラリンピックは、障害の程度によって3つのクラスに分かれています。
・L1(胴体が動かせず肩の機能だけでこぐことができる選手)
・L2(胴体と腕を使ってこぐことができる選手)
・L3(足、胴体、腕を使うことができ、力を入れて踏ん張るまたは腰かけて艇を操作できる選手)
その中で瀬立モニカさんが該当するクラスは、L1で最も障害の程度が高いクラスです。
出場種目は、女子カヤックシングル(運動機能障害KL1)という枠になります。
瀬立モニカさんはメダルは獲得できそう?
日本代表として、リオ・パラリンピックのパラカヌーに出場が決まった瀬立モニカさんですが、メダル獲得の期待はどうでしょうか?
パラカヌーを始めた当初は、2020年の東京オリンピック出場を目標に練習を重ねて来られていました。
リオオリンピックでは、最終予選の世界選手権が5月17~19日に、ドイツのデュイスブルグで行われた際の残り枠は4枠。
その1年前に、初出場にしてファイナリスト9人に入った瀬立選手には大きな期待が寄せられていたものの、一次予選を通過して臨んだ準決勝には強力なライバルとの争いが待っていました。
リオの出場枠4つのうち、2つは一次予選で好タイムをマークした選手に与えられたため、この時点で残るは2つとなっていたのです。
準決勝、同組で出場枠を獲得していない選手のうち、一次予選で瀬立選手を上回るタイムを出していたのは中国とオーストラリアの2選手。
瀬立選手はこの2人のうち、少なくともどちらかに勝たなければいけませんでした。
スタートしてすぐは、過去一番の手ごたえを感じていながらも、後半に入ると疲労で徐々に体が動かなくなってしまったそうです。
そして、ゴールした先の電光掲示板の表示は、1位に中国、2位にオーストラリアの選手が入り、瀬立選手は5位。
「負けたんだ」と泣き崩れた4日後。
帰国の途についた一行は、空港で別れ、瀬立選手が自宅に戻って30分後のこと。中国の選手が失格となり、繰上げで瀬立選手に出場枠が与えられることになったという連絡が入ったのです。
そのときのことを瀬立選手は、以下のようにおっしゃっています。
「最初は信じられませんでした。いえ、今でも夢だったパラリンピックの舞台に立てるなんて、信じられないんです。本当に人生って何が起こるかわからないんですね」
中国選手が失格になった理由は、障害の程度によるクラス分けが不適切だったこと。
多分、瀬立さんに比べると、障害の程度が軽かったのだと思います。
リオでパラリンピックが開催されるのは、9月7日~18日。
まだまだ日にちも1ヶ月以上あります。
現時点では、パラカヌーの経験年数も浅く、タイム的にも厳しいものがあるようですが、運も実力のうち!
当初の「リオパラに出場したい」という思いを、実力プラス強力な引き寄せで手にした瀬立モニカさんですから、リオでも、奮闘しながらも活躍なさることを期待したいと思います。
まとめと感想
ここでは、瀬立(せりゅう)モニカさんについて、ハーフ疑惑の名前の由来や、パラカヌーを始めたきっかけ。またリオパラでメダルを獲得出来そうかについて予測してみました。
瀬立モニカさんがまだ高校生だったころのプロモーションビデオです。
一見、普通の女の子にしか見えない彼女の、笑顔がとっても素敵でかっこいいですのです!
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