がんノート(がん情報メディア)の岸田徹(きしだとおる)さんがU-29という番組で特集されていました。
岸田徹さんが、「がんノート」として、インターネットの生放送でがん情報を発信するきっかけは3年前にご自身が癌になったことです。
「がんになってよかったな。 そう思わなやってられへん」と、健常者とまったくかわらない明るい岸田さんは、2018年の5月現在、大病を患った痕跡は微塵もなく、母校で公演したり、がんの学会への出席のためにアメリカに行く準備をしたりと、まさにがんを克服する人の生き方を実践され、実際にすごく元気に生活されています。
ここでは、そんな岸田さんについて、プロフィールや経歴、岸田さん自身のがんについて調べてみました。
目次
岸田徹 (きしだとおる)さんのプロフィール
- 生まれ:1987年
- 学歴:2011年立命館大学政策科学部卒業
- 25歳の時に全身がん宣告を受け、抗がん剤と2回の手術を実施
- 2014年3月に復職
- ブログ:http://ameblo.jp/xylitol3/
- 現在は、インターネット広告会社勤務
情報が少なくて不安な患者さんをインターネットによるがんの情報普及によって救うことを目指している。
- 若年性がん患者団体STAND UP!!に所属
- NPO法人患者スピーカーバンクも手伝っていらっしゃいます。
岸田さんのがんと闘病記
まず、岸田徹さんのがんは「胎児性がん」というもので、胚細胞腫瘍(精巣腫瘍)の種類の1つだそうです。
ただ、岸田さんの場合は、精巣ではなく、その代わりに首と胸と腹に複数散らばっており、「原発」と呼ばれるタイプで発症元は不明。
しかもこのがんでは珍しい「予後不良」。
5年生存率も、あるデータによると48%だそうです。
胚細胞腫瘍になる確率が10万人に1人で、そのなかの約5%と言われている癌だそうです。
胎児性がんとは?
胎児の原始生殖細胞(原始胚細胞)と呼ばれる細胞から卵巣や精巣が作られ、卵子や精子などの胚細胞がつくられます。卵子や精子になる細胞から発生した腫瘍は胚細胞腫瘍と呼ばれ、良性の奇形腫や悪性の腫瘍があります。
岸田徹さんのがん治療と治療費について
保険へは未加入だったそうで、治療費は、1年間でおおよそ100万円くらいかかったそう。
- 抗がん剤 ⇒ VEP療法と呼ばれるものを4クール、3ヶ月実施
- 手術 ⇒ 頚部と胸部の手術、後腹膜リンパ節郭清の2回を実施。
- 放射線 ⇒ 非セミノーマのため、放射線が効かないとの判断でしていない。
・非セミノーマとは?
非セミノーマには、腫瘍のもとになった組織の種類によって、胎児性がん、卵黄(らんおう)のう腫(瘍)、絨毛(じゅうもう)がん、奇形腫(きけいしゅ)などの種類がありますが、これらの成分が混在している場合も多くみられます。
頚部のがんが大きかったため、まず抗がん剤を実施。
比較的抗がん剤が効きやすいがんなので小さくなり、それから外科的に腫瘍を摘出。
岸田さんが、癌(がん)の宣告を受け、すぐにやったことは、職場への電話連絡。
会社の上司にすぐに伝え、すぐ入院する旨や今後の仕事の引き継ぎについて話し合ったそうです。
あと、うなだれていた両親を逆に慰めることも必要だったと。
岸田さん自身は、学生時代の世界一周中に「人生何が起こるかわからない」「なんとかなる」という経験から、比較的スムーズに受け入れることが出来たらしく、実質30分ほどで気持ちを切り替えることができたそうで、その時のことを以下のように語っていらっしゃいます。
全身がんと宣告されても、5年生存率が五分五分ということを聞いたので、それでも50%近くは生きれるんだ!という闘病の活力になりました。
そうはいっても、治療が始まって、抗がん剤の副作用などが襲ってきた時は、「なんでこんなつらい目しなあかんねん」という気持ちが湧いてきたそうです。
ご家族との関係はどう?
岸田さんは、ご両親とお兄さん、そして岸田さんの4人家族。
お兄さんは、病院へよく来て介護してくれたそうですが、ご両親は、自分の息子の体を切り刻むことに対して受け入れがたかったようで、病院に手術キャンセルの電話をされたほど。
ただ、岸田さん自身が成人していたために本人の承諾が必要で、その危機は乗り越えたそうです。
予断ですが、私は両親からとても健康な体を授かっていて、今までに大きな病気や怪我もしたこともありません。
なので、臓器移植提供の意思表示を随分前から行っているのですが、そのことを両親に伝えた時、沈黙と物凄く重たい空気が流れたのを思い出します。
医療に従事している友人にこのことを話したら、岸田さんのご両親のように、ご自分の子供の体にメスを入れることや臓器の提供については物凄い抵抗がある方が殆んどだそうです。
普段一緒に生活していると、当たり前になってしまっている親子関係ですが、思っている以上に親って子供のことを大切に思ってくれているんですよね。
岸田さんは、このことがきっかけで、ここまで育ててくれてありがとうの感謝の気持ちと、これを乗り切って、生きて親孝行するという気持ちも芽生えたそうで、このことも今の活動の活力につながったのだそうです。
病気を知って落ち込んだこと
岸田さんが物凄くへこんで、落ち込んだことは、性機能障害だったそうで、当時のことを以下のように語っていらっしゃいます。
後腹膜リンパ節郭清の影響で射精障害を患いました。正常に、精子が発射されないという症状です。手術の際に、そういった可能性があるということは教わりましたが、2本神経があり、1本は確実に残すので大丈夫だろうと言われました。
しかし、手術後出ることはありませんでした。めちゃくちゃヘコミました。絶望感にも襲われました。男として生きていく意義を失った感覚になりました。
男性としてのアイデンティティを失ったような絶望感が、「がんノート」を立ち上げた大きなきっかけになっています。
性機能障害については、ブログ経由で情報をもらったり、同じような経験のある方の奥さまなどからも情報を集めていって、およそ3ヶ月ぐらい、最長1年半ぐらいで戻った人もいるという情報に、物凄く安心されたようです。
闘病中の一番つらい時期には、彼女はいなかったようですが、プロフィール欄に載せているとおり、2016年の2月に、とてものチャーミングな女性とご結婚なさっています。
おめでとうございます!
「がん」から受け取った贈り物
がんのおかげで、様々な人にめぐり合えたことを、岸田さんは「がんからの贈り物」と感じていらっしゃいます。
「いつ死ぬかわからないから、人の目を気にしないで自分のやりたいように生きようというマインドを持つことが出来ました」と。
がんノートとは?
がんノートは、「がん経験者の情報を今、闘病中のあなたへ」をコンセプトとする、がん経験者によるがん経験者のためのインターネット生放送番組です。「がん」になったら人は「治療」以外にも様々な不安や悩みを抱えます。例えばお金・家族・仕事・妊娠など。
しかし、それらに対して情報は現在不足しています。
そこで、がんノートはがん経験者にインタビューし、経験談を通して闘病患者の悩み解消となるヒントや明るい見通しを持ってもらえるような放送を行っています。
闘病中の嬉しかった言葉が「THINK BIG=大きく考えろ」だったそうです。
まだ25歳で人生の折り返し地点にも行っていないのだから、もっと大きく考えて、これからのことも考えようと思ったそうで、そしてまた、
- 親孝行がまだできていなかったこと
- 会社でまだ成果がだせていなかったこと
- 社会貢献ができていなかったこと
この3番目に対して、破壊貢献をしようという強い思いから「がんノート」は配信されているのでした。
そこでは、圧倒的に不足している、家族のこと、お金のこと、性のこと、仕事や学校のことなどについて、先輩経験者の姿を見て、希望や見通しになってもらえればと運営されているサイトです。
まとめと感想
ここでは、2016年5月にU-29という番組で放送されたがんノート(がん情報メディア)の岸田徹(きしだとおる)さんについてまとめています。
岸田さん発信のがんノートの一コマに、同じく余命6年と肺がんを宣告されて2018年も元気に生存していらっしゃるTV番組ディレクターの長谷川一男さんの記事もありました。
⇒ 長谷川一男(テレビ番組ディレクター)肺がん余命宣告から6年
人気ブログランキングにも参加しています。よろしければ応援よろしくお願いします!