淵田美津雄(ふちだみつお)とジェイコブ・ディシェイザー:ふたりの贖罪(しょくざい)

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「トラトラトラ」を打電した真珠湾攻撃隊の総指揮官、淵田美津雄(ふちだみつお)と日本本土への初空襲を志願し、名古屋に300発近くの焼夷弾を投下したジェイコブ・ディシェイザーが、かつての対戦国でキリスト教の宣教師として、憎しみの連鎖を断ち切ろうとした2人について
「ふたりの贖罪(しょくざい)~日本とアメリカ・憎しみを越えて~」と題して放送されました。
「無知は無理解を生み、無理解は憎悪を生む、憎悪は戦争を生む」という淵田美津雄氏の言葉には感慨深いものを感じます。
出典:http://www6.nhk.or.jp/

という 出典:http://www6.nhk.or.jp/


ここではたジェイコブ・ディシェイザーの所属する教会についてまた、「トラトラトラ」を打電した淵田美津雄(ふちだみつお)氏がキリスト教の宣教師になったきっかけや経緯も調べてみました。
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ジェイコブ・ディシェイザーの名古屋の教会は?

ジェイコブ・ディシェイザー氏が宣教師とそて所属する協会は、日本フリーメソジスト教団の阪南キリスト教会です。
当初は名古屋を中心に活動なさっていたようですが、今は大阪の教会にいらっしゃるようです。
日本フリーメソジスト教団 阪南キリスト教会

出典:http://fmhannan.sakura.ne.jp/

出典:http://fmhannan.sakura.ne.jp/

NHKスペシャル
ディシェイザー当教団元宣教師が紹介されます
日時:8月15日(月)20:00~20:49 NHKスペシャル(総合)
「ふたりの贖罪 日本とアメリカ・憎しみを越えて(仮)」

〒559-0005 大阪市住之江区西住ノ江3-6-17
TEL.06-6671-6156 / FAX.06-6671-6157
URL:http://fmhannan.sakura.ne.jp/

「トラトラトラ」とは?

トラトラトラとは、太平洋戦争の始まりである日本軍の真珠湾攻撃が奇襲により開始されることを伝えた電信の暗号略号です。
本来はモールス符号「・・―・・ ・・・」を繰り返すものでトラ連送とされていました。
意味は「ワレ奇襲ニ成功セリ」。

奇襲とは?

相手の思いもよらぬしかたで、不意をうって攻撃することです。
これとあわせて「ニイタカヤマノボレ一二〇八」という打電が比較されますが、この「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の意味は、12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」の意味で、 ニイタカヤマとは、当時は日本の植民地であった台湾の最高峰の「新高山」ことを指します。
「トラ・トラ・トラ」を打電した淵田美津雄(ふちだみつお)氏と真珠湾攻撃については、映画化されててDVDやブルーレイで発売されています。

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宣教師になったきっかけ

淵田美津雄氏の「トラトラトラ」の打電で勃発した真珠湾攻においては、戦艦4隻が大破着底戦艦2隻が大・中破するなど、米太平洋艦隊戦艦部隊を行動不能にする大戦果をあげました。
その後も、淵田美津雄氏はラバウル、ミッドウェーを戦い、戦場の修羅場をくぐっていきます。
一時は優勢だった日本も広島と長崎の原爆投下による大打撃で1945年8月15日に終戦をむかえます。
そして「真珠湾の英雄」としてもてはやされた淵田美津雄氏も、戦後は一転して「国賊」扱いを受け、悩み苦しみました。
真珠湾攻撃では無事帰還し、ミッドウエー海戦では盲腸の手術で下の階にいたため爆撃の被害を免れ、また原爆投下前日まで滞在していた広島では、公務で離れていたため被爆せずに済んでいます。
広島が原爆投下された翌日には海軍調査団として入市し、残留放射能により二次被爆するのですが、幸いなことに放射線障害の症状は出ませんでした。
その後、1945年12月~1946年3月第2復員省勤務。
史実調査部、GHQ歴史科嘱託として戦中資料の整理研究を行っていました。
その研究の中で、海外から帰還した元日本兵捕虜に抑留中の待遇を聞き取りに浦賀まで出向いたときのことです。
ロッキー山脈の収容所で、傷痍捕虜のために懸命の奉仕をしていたマーガレット・コヴェルと名乗る若い女性にであいます。
奉仕をしている理由を聞くと、彼女の両親がバプテスト派の宣教師として来日し、横浜ではミッション・スクールの関東学院のチャプレンをしていて開戦直前にフィリッピンに渡ったそうですが、日本軍が隠れ家を発見し、スパイ容疑で両親を捕らえて首をはねたそうです。
祈りつつ最後を遂げた両親の話を聞いて、最初は日本人に憎しみを抱いていたマーガレッでしたが、娘として憎しみを返すべきではないことを示され、心からのサービスを捕虜たちにしたというのでした。
この話は淵田氏の心を深く打ち、これがきっかけで祈りの意味に心を寄せたそうです。
そして東京湾で行われた戦艦ミズーリ号上での降伏調印式に列席するなど、戦後の事務処理でたびたび米軍司令部に呼び出されていたある日のこと。
渋谷の駅前広場で一人のアメリカ人が小冊子を道行く人々に配っているのを見ました。
淵田氏もその冊子をもらったところ、表紙には「私は日本の捕虜だった」とあり、写真も載っていたのです。それが後に一緒に平和を訴える活動をするジェイコブ・デイシェイザー氏でした。

ジェイコブ・デイシェイザー氏のパンフレット

これが現物のパンフレットです。(*教会関係者の方からいただきました。)
ほーぷりばー様、この度は貴重な資料と情報提供ありがとうございました!
ジェイコブ・ディシェイザーパンフ01
四つ折のパンフレットには
「私は日本の捕虜でありました」
という書き出しで始まり、日本への初爆襲の際、飛行機の燃料切れで日本の占領地に落下傘で降下しなければならなかったこと、から捕虜になってからそして捕虜として受けた扱いなどが書かれています。
ジェイコブ・ディシェイザーパンフ02
裏には、聖書によってジェイコビ氏の気持ちが変わっていく様子が書かれていて、捕虜として厳しい扱いを受けながらも、
「私と私の仲間を飢えさせ且つ蹴りつけた日本人将校と警備兵を見ました時、彼らに対する憎しみが既に慈愛へと代わって居りますことを私は発見しました。
これらの日本人は、私の信ずる救世主について何も知らないことを知りました。」
そして、
「キリストが心の中になければ残酷であるのは自然のことであることをしりました。」
と、淵田美津雄氏の「無知は無理解を生み、無理解は憎悪を生む、憎悪は戦争を生む」という思想の根っこに繋がるような記述が記されています。
ジェイコブ・ディシェイザーパンフ03
ジェイコブ・デイシェイザー氏は、東京初空襲の爆撃隊で名古屋を爆撃した後、中国大陸の基地を目指していたのですが、燃料が尽きたため落下傘で降下したところを仲間とともに日本軍の捕虜となり、日本軍から虐待を受けていました。
強い憎しみを覚えたディシェイザー氏でしたが、東京から長崎へと移送された中で看守に聖書を差し入れて貰って読みふけるうちに、聖書の一文に心を奪われました。
「自分の口でイエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせられたと信じるなら、あなたは救われる。」( ローマ10::9)。
この言葉を信じてクリスチャンになったジェイコブ・デイシェイザー氏の冊子でした。
戦後、救出されたジェイコブ・デイシェイザー氏は帰国後、大学で学び、結婚して宣教師の資格を得ると家族とともに爆弾ではなく聖書を抱いて来日し、自分が爆弾を投下した名古屋を始め大阪や茨木で奉仕したのでした。
デイシェイザーの話を聞いた淵田氏は聖書販売人から新約聖書を買い、読み始めて一ヶ月後、ルカ伝23章34節「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」というキリストの祈りに行き当たったとき、マーガレットの両親の最後の祈りを理解したそうです。
1951年3月25日、イースター・サンデーに堺市の日本基督教団大小路教会で斎藤敏夫牧師より受洗。
以降淵田氏は1952年から1957年(昭和32年)まで8度にわたりアメリカへ伝道の旅に出かけました。
キリスト教の伝道をする淵田氏に、海軍仲間の批判、アメリカのリメンバーパールハーバーの声、元特攻隊が刀を持って押し入るなど障害も多かったようです。
しかし淵田氏は真珠湾の英雄を伝道の武器にし、ジェイコブ・デイシェイザー氏と共に日本をはじめ米国・カナダ・ヨーロッパおよび東南アジアの国々に伝道旅行をし、キリストの福音を宣べ伝え、戦争は互いの無知から起こったとし、謝罪ではなく互いに理解するため戦争の愚かしさ、憎しみの連鎖を断つことを訴えつづけました。
・1966年(昭和41年)米国の市民権を得る。
・晩年は大阪水交会会長を務める。
・1976年(昭和51年)5月30日、糖尿病の合併症により死去。
葬儀は海軍関係者向けに神式、その他向けにキリスト教式に別々で執り行なわれた。

淵田 美津雄プロフィール

・名前:淵田 美津雄(ふちだ みつお)
・1902年(明治35年)12月3日 – 1976年(昭和51年)5月30日)
・日本の海軍軍人、キリスト教伝道者。
・最終階級は大佐。
・海軍兵学校52期。

番組内容は

憎悪が、世界を覆い尽くしている。どうすれば、憎しみの連鎖を断ち切ることができるのか。その手がかりを与えてくれる2人の人物がいる。70年前、殺戮の最前線にいた日米2人の兵士である。
「トラトラトラ」を打電した真珠湾攻撃隊の総指揮官、淵田美津雄。その後もラバウル、ミッドウェーを戦い、戦場の修羅場をくぐってきた淵田だが、1951年、キリスト教の洗礼を受け、アメリカに渡り、伝道者となった。
淵田が回心したのは、ある人物との出会いがきっかけだった。元米陸軍の爆撃手、ジェイコブ・ディシェイザー、真珠湾への復讐心に燃え、日本本土への初空襲を志願、名古屋に300発近くの焼夷弾を投下した。そのディシェイザーもまた戦後キリスト教の宣教師となり、日本に戻り、自分が爆撃した名古屋を拠点に全国で伝道活動を行った。
戦争から4年後の冬、ふたりは運命の出会いを果たす。ディシェイザーの書いた布教活動の小冊子「私は日本の捕虜だった」を淵田が渋谷駅で偶然受け取ったのだ。以来ふたりは、人生をかけて贖罪と自省の旅を続ける。淵田はアメリカで、ディシェイザーは日本で。
ふたりの物語は、「憎しみと報復の連鎖」に覆われた今の世界に、確かなメッセージとなるはずである。

淵田氏がキリスト者になった経緯は、「真珠湾からゴルダゴへ」という書籍の中で紹介されています。
淵田美津雄著真珠湾からゴルダゴへ
淵田美津雄著真珠湾からゴルダゴへ02
書体価格(150円)+送料で誰でも購入が可能なようです。
【書籍の問い合わせ先】
・書籍名:真珠湾からゴルダゴへ
・著書:淵田美津雄
・発行人:一般社団法人大阪クリスチャンセンター
・住所:大阪市中央区玉造2丁目26-47
・電話:06-6762-7701
また、ジェイコブ・デイシェイザー氏の書籍は中古ですが、アマゾンにありました。

私は日本の捕虜だつた (1949年)

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まとめと感想

憎しみの連鎖は、繰り返そうと思えばどこまでも繰り返すことが出来ると思うのです。
でもどこかで誰かが終止符を打たなければ、いつまでたっても、憎しみと争いの中に身をおくことになってしまう。
淵田美津雄氏ととジェイコブ・ディシェイザー氏について調べていて、昨年パリで起きた同時多発テロで、奥様を失った方の言葉を思い出しました。
[blogcard url=”http://officeliberty.main.jp/archives/1274″]
奪い合う世の中から、分かち合う世の中へ変わっていくにはまだまだ時間がかかるのかもしれないけれど、こういった番組を通して、私も含め一人ひとりの心が動いて広がっていけばよいな、と思ったのでした。
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コメント

  1. 沼野治郎 より:

    先ほどNHKの番組を見終わりました。とても感動しました。良い内容だと思います。ただ淵田師の説教に創られた話が入っていたと思われることや、彼の自伝に疑わしい点が指摘されているのを読んで残念に思います。

    • officeliberty より:

      沼野さま
      コメントありがとうございます!
      番組はリアルタイムで見ることが出来ませんでしたので、後日ゆっくりみます。
      私の記事に不備がございましたら申し訳ありません。
      リサーチ不足です。

  2. ほーぷりばー より:

    丁寧に解説していただき、ありがとうございました。
    番組を見て、NHKでキリスト教のことを削らずにしっかり扱ってくれたことを嬉しく思いました。
    ディシェイザーが配ったパンフレットの本物は、青と赤の2色刷りです。私どもも欲しくて、ヤフオクで入手し、コスト削減のため青1色でたくさん印刷して配布しました。ブログに掲載されたお写真は、もしかしたら私が印刷機で複製したもの?せっかくですから2色の本物を撮影した写真もございます。お入り用でしょうか。

    • officeliberty より:

      ほーぷりばー様
      コメントと貴重な資料、ありがとうございました!
      早速、画像を差し替えて使わせていただきました。
      番組の感想を探してみると、「良かった、感動した」という反響がとても多いです。
      私自身もこの番組を通して、淵田氏やディシェイザー氏の存在を知ったこと、そして何よりほーぷりばー様と知り合えたことに、
      大げさですが、また1つ人生の指標の種をいただいた気持ちです。