聾(ろう)学校で手話の使用が禁止されていた理由とは?

秋篠宮佳子さまなど皇室の方々もお使いになり、話題を呼ぶ手話。
この写真は、2015年に鳥取県米子市で行われた「第2回全国高校生手話パフォーマンス甲子園」で、開会式であいさつに立ち、初めて手話を披露されたときのものです。

引用:http://www.asahi.com/

今年2016年の3月に、手話やろう教育に関する文献や資料を全国から集めた「手話総合資料室」というサイトが登場し注目を集めています。

⇒ 「手話総合資料室」

運営事務局に集められた資料の読み解きが進むにつれ、全国のろう学校では、長い間手話の使用が禁止されていたという意外な事実が分かってきたのです。

ここでは、手話の使用が禁止されていた理由についてまとめてみました。

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なぜ手話は禁止されていたの?

世界で初めてできた「ろう学校」

18世紀中ごろ、フランスにシャルル・ミシェル・レペという神父さんがいました。ある日たまたま立ち寄った家に双子の女の子がいましたが、話しかけても、その子たちは何も答えてくれず、無視して裁縫仕事を続けていました。はじめは、失礼な子供たちだなと思いましたが、お母さんが帰ってきて、二人の娘が耳が聞こえず話しもできないということを知ります。

それがきっかけでレペは二人が使っていた手話にフランス語の単語をあてはめフランス手話を考案し彼女たちに教育をしました。

それは評判を呼び、すぐに40人ほどの生徒が集まったそうです。

これがきっかけで、1754年パリに公立のろう学校が開校しました。

1862年の江戸幕府は、第一次遣欧使節を派遣し、ヨーロッパの聾学校や盲学校を訪問していました。

そして、日本の最初の聾学校は、古川太四郎氏が1878年に設立した京都盲唖院です。
ここに31名の聾唖生徒が入学し、日本の手話が誕生しています。

古川太四郎氏については、昨年3月が生誕170年記念の年で、3月27日にGoogleのトップ画面が、手話のイラストに変わっていました。

古川太四郎氏の他にも、聞こえない子達の教育に力を尽くした方々が沢山いました。

関連記事はこちら。

古河 太四郎(ふるかわ たしろう)盲聾学校創設者特集:ろうを生きる

ろう学校なのに手話禁止?

盲唖院では手話(その頃は手勢法と呼ばれてました)や筆談や口話(口の形を読み取る方法)を組み合わせ、一人一人に合った方法で教育が行われており、このやり方をみならって、その後、日本各地でろう学校が開校されました。

実は、手話が禁止になる前は、手話による教育が昭和の始め頃まで続いていました。

その理由は、読み書きがちゃんと出来る卒業生を就職させようとしても、雇い主は、ろう者への偏見や、筆談でしかコミュニケーションが取れないような人を中々雇用しようとはしなかったのです。

そんな時代背景を受けて、聾学校の先生の中で、この子達をどうにか出来ないか?

喉に障害は無いはずだから、しゃべらせる事により社会に受け入れられる生徒を育てられないだろうか? と考えた先生がいました。

そしてその当時、欧米では、話している人の唇を見る事により、話し言葉を読み取り その口形をまねして、本人にも声を出させる、視話法の研究が盛んで、その手法を日本にも取り入れたのが現在の口話法の始りです。

ところが、1880年のイタリアのミラノで開かれた第2回ろう教育者会議では手話法は口話法より劣っていると口話法が採択されてしまったのです。

それをきっかけに世界のろう学校では手話を禁止し口話法へと変わっていきました。

やがて日本でも口話法が主流となり、多くのろう学校で手話は口話の習得の邪魔になると禁止されるようになりました。

しかし子供たちは先生に隠れて手話を使い、上級生から下級生へと手話が伝わっていったそうです。

そんな中、全国でただ一校、「口話法により効果のある生徒は全体の2~3割しかいない その他の子供には、手話による教育が必要である」と主張した学校が、大阪市立聾学校、高橋潔校長です。

「それぞれの子供に合った教育」を勧めたのですが、聞き入れてはもらえず 大阪市立聾学校以外、ほとんどの聾学校が口話のみによる教育となったのです。

手話を禁止した理由は?

手話を禁止した理由は、手話を使うと目が手の方に行き、集中して口を見なくなる事を懸念してのことだったようです。

手話を禁止してどうなった?

ところが、 聞こえない人にとっては、自由にコミュニケーション手段が目の前にありながら 使わせてもらえないと言う思いが強かったようです。

そして、その口話法の結果はというと、手話が無くなり、聞こえない人がみんなしゃべる様になったわけではなく、日本語の読み書きが出来る様になったわけでもなく、口話法の恩恵に預かる子供は、ほんのわずかしかいなかったようです。

こういった経緯があってやっと1993年に、文部省が「聴覚障がい児のコミュニケーション手段に関する調査研究協力者会議」の報告の中で手話の必要性を認めました。

ずっと以前から、手話を使っている肩は見かけていましたが、正式に認められたのは、意外にも最近だったことにおどろきました。

それ以降、手話を禁止するろう学校は少なくなったけど、当時、手話を使って授業をしているろう学校はまだまだ少なく、手話ができないろう学校の先生も結構多かったそうです。

今では、聾学校のほとんどの教師が手話を使って生徒に授業をしており、また、「ろう学校」という名称も廃止され、「自立支援学校」へと正式に改称されています。

まとめと感想

ここでは、手話の使用が禁止されていた理由についてまとめてみました。

手話に関するこれまでの歴史など、よくお勧めされているものがこちらです。

アマゾンに感想レビューが載っていましたのでご紹介します。

激しく泣ける。 感動して涙が止まらない。
耳が聞こえず、喋ることもできない聾唖(ろうあ)者への差別や偏見と戦い続けた、大正時代に実在した教育者を描いた漫画作品。
差別や偏見が根強かった昔の日本の社会の中で、
苦しみながらも生きていく聾唖者やその家族、
そしてそれを必死で支える教育者達を描いている。
厳しい人生であっても日常に喜びを見出し、人を支え、支えられ、強く逞しく生きていく。
健常者だから人間性も健常って訳じゃない。
本当に人間らしく生きていく彼らの姿を見て、健常者である自分を見つめなおしてしまった。
私の心は、彼らのように健やかだろうか。

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