富士山三保子(ふじやまみほこ)と青い目の人形たち:NNNドキュメント

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ミス静岡の富士山三保子(ふじやまみほこ)をご存知ですか?
今年春、89年ぶりにアメリカから静岡へ里帰りし、また12月の末にアメリカへ帰ることが決まっているのですが、実はこの富士山三保子(ふじやまみほこ)というのはお人形の名前です。
富士山三保子里帰り展より

出典:http://www.at-s.com/news/article/local/west/223662.html


昭和の初め、日米関係が悪化する中、平和の使者として人形交流が行われました。
アメリカからは、日本のひな祭りの習慣に合わせて、それに間に合うように。
そして日本からはその御礼としてクリスマスの時期に送られたお人形の中の一体がこの富士山三保子さんです。
11月27日深夜のNNNドキュメントで、この富士山三保子さんやアメリカから寄贈された「青い目の人形」を通して戦争を振り返るドキュメンタリーが放送されます。
ここでは今回、静岡県に里帰りしてきた富士山三保子(ふじやまみほこ)「青い目の人形」と戦争の関係などをまとめてみました。
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人形が交換されたきっかけは?

日露戦争後に日本が満州の権益をにぎると、中国進出をうかがっていたアメリカ合衆国とのあいだに政治的緊張が高まっていました。
アメリカ本国においては、日系移民がアメリカへ大量に移住することによって、もともと経済不況の中、1日1ドルの低賃金でも一生懸命働く日本人によって、アメリカ人の労働力を損ねる恐れも懸念されているときでもありました。
それに加え、かねてから根付いていた人種的偏見等も相まって、1924年にジョンソン=リード法(通称「排日移民法」)が成立した事で、日本国内での反米感情をあおることにもなり、日本とアメリカ両国民の対立を深めていたときです。
1927年(昭和2年)3月に、日米の対立を懸念し、その緊張を文化的にやわらげようと、アメリカ人宣教師のシドニー・ギューリック博士(1860年 – 1945年)が「国際親善、人と人との理解は大人になってからでは遅いから、と、子供の世代からの国際交流を重視すべく「世界の平和は子供から」をスローガンとして掲げ、人形を通じての日本との親善活動がおこなわれたのがきっかけです。
お人形は、1926年10月〜12月に全米より集められ、1927年3月3日に間に合う様に日本郵船等5社ほか(他に大阪商船(現・商船三井)、Dollar Steamship Company(現・アメリカンプレジデントラインズ)、Kawasaki Roosevelt Line(現・川崎汽船)、China Mutual Steam Navigation Company(現・ブルー・ファンネル・ライン)の前橋丸、アングル丸など12隻に分乗し日本の子供に12,739体もの「青い目の人形」が贈られました。
人形に添えられたギューリックの手紙には、「友情の人形」と呼ばれており、贈り主側が「青い目の人形」と名付けたわけではありません。
野口雨情が「青い眼の人形」の詩を発表したのは1921年(大正10年)10月のことで人形交換よりも数年さかのぼります。
これに本居長世が作曲したのが童謡「青い眼の人形」で、1923年にはアメリカでも関東大震災の義援金を集める目的で演奏され、好評を博していました。
「青い目の人形」との呼び名は、これに因んで付けられたと思われています。
贈られたお人形は、全米の子どもや親たちがお金を出し合って作り、メーカー製から個人寄贈まで様々で、必ずしも青い目をしているものではなかったようです。
この御礼として、日本からも美しい着物を身に纏った58体の“日本人形”が子どもたちの寄付を元に製作され海をわたっていったのですが、その中の一体が静岡県から送られた富士山三保子(ふじやまみほこ)という名前をもったお人形でした。
ちなみに送られたお人形は、都道府県からほぼ1体ずつで、それぞれに地名にちなんだなめがつけられており、また地域のの特産物やお道具なども持たせられての寄贈になっています。
それぞれの名前は、たとえば以下のとおりです。

  • ミス北海道:北海花子(ほっかいはなこ)
  • ミス青森:青森陸奥子/睦子
  • ミス秋田:秋田蕗子
  • ミス東京(市):東京花子(とうきょうはなこ)
  • ミス東京(府):東 京子(あづまきょうこ)
  • ミス静岡:富士山三保子(ふじやまみほこ)
  • ミス長野:長野絹子(ながのきぬこ)
  • ミス京都府:京都宮子(きょうとみやこ)
  • ミス岡山:岡山桃子
  • ミス佐賀:鍋島肥佐子(なべしまひさこ)
  • ミス宮崎:日向瓊子(ひゅうがたまこ)
  • ミス鹿児島:薩摩昭子(さつまあきこ)
  • ミス沖縄:沖縄球子(おきなわたまこ)

ところが、両国の子どもたちが平和を願って人形を贈り合ってから14年後に、第二次世界大戦に突入。
この戦争で、「青い目の人形」「日本人形」には、全く逆の運命が待ち受けていました。
アメリカに贈られた日本人形は90年近く経った現在に至るまで、ほとんどが大切に保管されてきたのに対し、日本に贈られた青い目の人形の大半は竹槍訓練の標的にされたり、焼却されたりなどして滅失してしまっています。
また、現在残っている青い目の人形の中には、当時暴行を受けた痕跡が見られるものもあって、そのお人形もテレビで放送されるようです。
空襲や災害で失われたり、戦後、校舎改築等の際に見つかっても、寄贈された経緯を知らずに古い人形として廃棄されたと思われるものも少なくありません。
残っていた人形と、日本に届いた経緯がテレビ等で紹介された事と共に、地方に残る青い目の人形の再発見や、人形親善の継続としてアメリカから(ギューリック3世らから)の学校等への新しい人形(新・青い目の人形)の寄贈が行われるようになりました。

富士山三保子(ふじやまみほこ)の里帰り

静岡県からアメリカのミズーリ州カンザス市公立図書館に贈られた富士山三保子(ふじやまみほこ)が、今年日本に里帰りして、2016年の3月に『「富士山三保子(ふじやまみほこ)」の里帰り展』と称して、浜松市中区の遠鉄百貨店お披露目されました。
お人形と言っても、思った以上の大きさで、雑に扱うと色あせしてしまう着物もとても美しいままでした。
この展示会では、県内に現存する他の青い目の人形5体や、富士山三保子のために新調した富士山と三保松原をあしらった友禅染の着物、つづらなどの道具類も一緒に展示されていたようです。
この里帰り展は、官民一体でつくる「里帰りを実現させる会」(会長・川勝平太知事)の主催で、浜松での展示は山口祐子実行委員長からレクチャーを受けた市内の高校生21人が会場で説明役を務めていました。
http://www.at-s.com/news/article/local/west/223662.html

さようなら「富士山三保子」さん~帰国前の着付けお披露目のご案内~

この富士山三保子は、静岡県だけではなく各地をまわってお披露目された後、化粧直し(傷んだ箇所の修復)を終え、年末にはまたアメリカに帰ることが決まっています。
その前に、静岡県の美術館で、帰国前の着付けお披露目の展示が行われます。

今年2月、昭和2(1927)年に米国から贈られた「青い目の人形」への答礼として米国へ送られた答礼人形「富士山三保子」さんが、89年ぶりに里帰りしました。
県内各地で開催された里帰り展には多くの皆様にお越しいただくとともに、心温まる寄付を賜り誠にありがとうございました。
実行委員会では、化粧直しを終えた三保子さんが12月末に帰国する前に、お別れ会を兼ねて、皆様の御厚意で作成した着物を着用した姿のお披露目展示を行うこととしました。
皆様のお越しをお待ちしています。

・期間:12月3日 土曜日~12月11日 日曜日(月曜休館日)
・開催時間:10時00分~17時30分
(3日は式典開催のため11時30分から、最終入場は17時00分まで)
・開催場所:静岡県立美術館 エントランスホール(静岡市駿河区谷田53-2)
・参加費 入場無料


お申し込み・お問い合わせ
【問い合わせ先】
・答礼人形「富士山三保子」の里帰りを実現させる会実行委員会事務局
・住所:静岡市葵区追手町9-6 静岡県地域外交局内
・電話番号:054-221-2309
・メールアドレス:kokusai@pref.shizuoka.lg.jp
・URL:http://www.sir.or.jp/

まとめと感想

こういったお人形の交換がおこなわれていたことは、番組を知って初めて知りました。
この番組を取材した担当者の方は、以下のように語っておられます。

「日本人は人形を“モノ”ではなく
人間の分身のように考え、
大切に扱ってきました。なのに…
青い目の人形を通して
戦争の恐ろしさ愚かさを強く感じました。」

番組内でご年配の方がお人形を見て涙する姿は、今ではすっかり記憶から遠ざかりつつある戦争が、実際にあたとこを思い出させてくれました。
日曜深夜の見る番組としては、ちょと重たいかなと思いつつまとめてみました。
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