平和
日本紛争予防センター・理事長瀬谷(せや)ルミ子さんは、「平和を作ることをビジネス化する」をコンセプトに、「平和づくりのスペシャリストとして」国連も頼りにしている日本人女性です。
その瀬谷さんが「夢の扉」にご出演なさいました。
ここでは瀬谷さんのプロフィールや経歴とともに平和へ関心を持つことになったきっかけ「ルワンダ虐殺」についても調べてみました。

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瀬谷ルミ子さんプロフィール

引用:http://alternas.jp/uncategorized/6993
  • 名前:瀬谷ルミ子さん
  • 生年月日:1977年2月23日
  • 出身地:群馬県桐生市
  • 学歴:群馬県立前橋女子高等学校、中央大学、ブラッドフオード大学
  • 職業:・日本紛争予防センター(JCCP)の理事長/・株式会社JCCP取締役
  • オフィシャルブログ:紛争地のアンテナ

平和へ関心を持つきっかけ

瀬谷ルミ子さんは、高校3年生の時に新聞で見たルワンダ虐殺の写真をきっかけに、紛争解決を職業とすることを志しました。
中央大学卒業後、イギリスの、ブラッドフォード大学平和学部紛争解決学の修士号を取得。
大学院の修士課程在学中に、秋野豊賞を受賞。

ルワンダ虐殺とは?

ルワンダ虐殺とは、比較的新しい1994年4月7日にルワンダで発生したジェノサイドです。
ジェノサイドとは、一つの人種・民族・国家・宗教などの構成員に対する抹消行為で、当時の大統領が暗殺されたことを皮切りに、フツ族によるツチ族の虐殺が勃発しました。
ルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領が乗った飛行機が、何者かによるミサイル攻撃を受けて撃墜し、両国の大統領が死亡。
このハビャリマナ大統領暗殺がきっかけとなり、翌日からルワンダ軍やフツ民兵グループなどが、少数派のツチを虐殺し始めたというもので、80%を超えるフツ族が、約15%のツチ族を虐殺し始めました。
大統領を殺されたフツ族が、親近者であるアカズと呼ばれるフツ・パワーの中枢組織が指揮を取ったようです。
暗殺の犯人が特定できていなかったため、ラジオで連日ツチ族を責めたてる報道がされていました。
ラジオの声に煽られるように、たちまち人々は血に飢えた殺人鬼に早変わりし、今まで隣人だった人間に襲いかかりました。
被害者の数は未だに特定されていませんが、3か月で50~110万人にも上るようです。
屠殺者は無表情でまるで野草を切り払うかのように、頭と言わず腹と言わず、山刀でメッタ切りにして進んで行ったとか。
フツ族の娘たちは遺体に群がっていき、ネックレスや時計を略奪し、血で汚れていない衣服や靴があれば残さず剥ぎ取っていき、楽しそうに駆け回っている少女たちの姿は、宝さがしのように面白いゲームのをしている姿に見受けられたそうです。
ラジオでの煽りによって激化した虐殺は、多くの一般人まで虐殺に荷担させることにつながったと言われています。
そして、20年以上経った今でも、この虐殺の残した爪痕に苦しんでいる人たちがいます。
瀬谷さんについて調べるまで、政治家の方ように椅子に座って、外国とやり取りだけする方だと思ってました。
すると、すごくお若くて、現地で活躍していらっしゃるじゃないですか!
現地入りすることも、怖くないはずはないと思うのですが、恐怖心よりも平和を望むことのほうが勝るのでしょうね。
日本にも、世界でこんなにステキに活躍していらっしゃる方がの存在をはじめて知りました。

夢の扉の番組内容は

『テロの脅威や紛争、暴動は、国境を越えてどこにでもやってくる時代』 日本も無関係ではいられない。
その原因を根本から解決しようと立ち上がったのは、一人の日本人女性。
 瀬谷ルミ子、38歳。
彼女の職業は、紛争地に平和を築く「平和クリエイター」。
アフガニスタン、ソマリア、ケニアなど、世界各地で武装解除や平和構築の支援活動を行う瀬谷のもとには、国連から直々に、プロジェクトへの参加要請が来る。
「平和とは何か?」と問われると、『生き方の選択肢が多いほど、その社会は平和な状態に近いのではないか』と瀬谷。
職業の選択、何を食べ、どこに住み、何を学ぶか・・。
日本人が当たり前だと思っている選択肢を紛争地に与えられれば、紛争は防げると瀬谷は考える。
そして瀬谷は、アフリカの地に単身乗り込んだ。
そこは、巨大スラム街。 平和への兆しが見えた矢先、再び紛争が。
という内容でした。
 
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