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宮城県亘理郡(わたりぐん)山本町でそばの花を咲かせる伊藤さんが10月8日の人生の楽園の主人公です。
画像は、親友のワイナリーだった場所一面に咲いたそばの花と伊藤さんです。
チームひまわり 伊藤さん

出典:http://digital.asahi.com/articles/photo/AS20150929000996.html


そばの成長は早く、種まき後60~80日で収穫できます。
また霜には弱いのですが、年に2回、春と秋に種を蒔いて収穫することが可能なので、生産量を上げるにはピッタリの農産物の1つなのです。
ここでは、伊藤さんの作ったそば製品そば粉が買えるお店やそばを作ろうと思ったきっかけなどについてまとめてみました。
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そばをつくるようになったきっかけ

山元町で生まれ育った伊藤久光さんは農家を継ぎ、30歳で同郷の美幸さんと結婚し4人の子供を育てます。
伊藤さんは2008年に、減反政策の一環で休耕田を使い、ヒマワリなどの緑肥を地域の仲間と植え、彼らと「チームひまわり」を結成します。
この「チームひまわり」では、町の特産になるようなものを生産し、広めたい考えていて、それがそばでした。
なので、直接のきっかけは減反による休耕田の活用です。
この、「チームひまわり」活動に参加していた一人が、中学・高校時代、同じバレー部で汗を流し、農業の未来を語り合う親友であり農家仲間でもある桔梗(ききょう)幸博さんでした。
桔梗さんは、東京の大学で醸造を学び、ブドウジュース製造が主力の家業を継ぐと、ワイン造りに力を入れ、リンゴを使ったワインや非加熱・無濾過(ろか)のワインなどを勢力的に開発していきました。
そして、試作品が出来上がるたびに、「飲んでみてくれないか」と声をかけてきていました。
また農家の跡取り息子の伊藤さんも、8年ほど前からソバ作りを始め、桔梗さんにそばを食べてもらうと「おいしい」と言ってくれていた仲でした。
ところが、2011年3月の東北大震災で、青々としたブドウ園は津波に覆われ、桔梗さんも犠牲になってしまいます。
そして、ワイナリーも廃業になってしまいました。
弔辞を読んだ葬儀のあとも、遺族からも「何とかしてほしい」と頼まれていた伊藤さんは、親友が情熱を傾けた土地を放っておけませんでした。
そんなとき伊藤さんの脳裏には、ふと、荒れ地にソバの花が咲き誇る様子が浮かんだのだそうです。
「この風景を復興の象徴にしたい」と町に頼み込み、がれき撤去と除塩を急いでもらい、震災2年後の8月に、約2ヘクタールの畑にようやく種をまくと、ひと月後、花々が一面を覆いました。
上の写真が、桔梗さんのワイナリーだった場所一面に咲くそばの花と伊藤さんです。
これをきっかけに、復興の力になればと様々な場所でソバを育てるようになりました。

わたり(亘理)そばプロジェクトとは?

わたりそばプロジェクトとは、津波で大きな被害を受けた亘理郡で、蕎麦の栽培に取り組む生産者をみんなで応援しようというプロジェクトです。
生協メンバーと生産者による種まき会や、関係者が一堂に会しての花見会などのイベント開催、生麺や乾麺の商品化を通じて地域の新しい特産品づくりに取り組んでいます。
先月9月には、そばの花が咲きそろった畑で花見会が行われたばかりです。
宮城県亘理そばプロジェクト
出典:http://www.miyagi.coop/hukkounet/
また、生麺や乾麺の商品化を通じて地域の新しい特産品づくりに取り組んでいます。
まずは、2014年は、亘理・山元の農地47haから約16トンのそばが収穫され、このそばを使用した生麺の「復興亘理そば」を、12月に年越しそばとして販売しました。

この「復興亘理そば」、JA全農みやぎやみやぎ生協だけでなく、コープこうべでも取り扱われ、約1万パックが利用されました。

また、亘理産のそば粉は、県内そば店にも出荷されています。

震災から4年目の2015年3月からは 「復興亘理そば」の乾麺をみやぎ生協全店舗で発売を開始しています。

復興 宮城県 亘理そば

出典:http://www.miyagi.coop/smt/outline/press/detail/546/


また、収穫されたソバは地元メーカーで製粉後、「古今東北つるんとわたりそば」に加工され、全国の方々に利用されています。

これは、宮城県の生協COOPで販売されています⇒ 宮城生協COOP店舗一覧

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