稲垣えみ子さん(アフロヘア元新聞記者)の節電生活が情熱大陸に

ステキな人々

元朝日新聞の記者、アフロヘアの稲垣えみ子さんのが4月3日の情熱大陸の主人公。
稲垣えみ子さんが、月々の電気代が200円の節電生活で手に入れたものは、単なる生活の知恵ではなくて、贅沢な空間と、研ぎ澄まされた五感だったようです。
そして最後の言葉がとても印象的でした。

このページでは、稲垣さんが節約生活で手にしたものや朝日新聞を退職なさった経緯、プロフィールについて調べてみました。

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プロフィール

・名前:稲垣えみ子(いながきえみこ)
・生まれ年:1965年(51歳)
・出身地:愛知県
・趣味:山登り、酒場巡り(日本酒)
・出身校:一橋大学社会学部
・一橋大学卒業後、1987年朝日新聞社に入社。
・高松支局、京都支局を経て、1991年から大阪本社へ勤務。
・朝日新聞大阪本社で記者・社会部デスクを経験。
・2013年春から論説委員として社説を担当。
・編集委員として書いた「電気をほとんど使わない生活」コラムが話題に。
・2016年1月、朝日新聞社を退社。

節電生活を始めたきっかけ

現在、電気代が月200円程度という稲垣えみ子さん。
もともと、月々の電気代は2,000円程度だったという稲垣さんが、節電を意識したのは原発事故。
3.11の原発事故以降、原発を取り巻く議論は賛否両論が激しく分かれているものの、こと節電については、ほとんどの人が賛成するもので、それ以降取りざたされて以降、脱原発を図るには消費電力を半分にすればよいのではないか?それじゃ、まず自分がやってみよう、という理由から節電を心がけるようになったそうです。
まずは、1日中、防カビのためにつけっぱなしにしていたお風呂の換気扇を止めて、そのためにカビが生えないようにお風呂上りに水滴をふき取っていたのだそうですが、楽しみにしていた電気代はむしろ上がっていて、その労力のほうが大変だったと。
もともと、電気の使用量が少なく、無駄な電気を使っていなかったために、そこからの節電は大変だったようです。
節電してもちっとも減らない電気代に、さてどうしたものかと、あれこれ節電術のようなものを調べて行き当たったのが、松下幸之助さんのお話。
会社が一番となって、電機の使用量を各家庭で3割削減させようという目標をたてたそうなのですが、どの家庭もも1割も削減できなかったとか。
ここで普通だったら、3割が無理だったら0.5割に、と考えそうなところですが、松下幸之助さんは「じゃ50%削減しましょう」と1割が難しいというのに、5割という無理難題と思える発言をなさったようです。
これを聞いた稲垣さんは「発想の転換をしなくちゃダメなんだ」と、節電ではなく、電気がないものとして生活してみよう、と思ったそうです。
それから、自分の日常には電気がないものになっているので、ご自宅のマンションのエレベーターは使わない、帰宅したら当たり前につけていた電気をつけずに、暗闇に眼が慣れるのを待つという生活に。
そうする事で、意外にも暗闇でものが見えるようになるだけではなく、視覚に頼らなくなるので、眠っていた自分の中の五感が研ぎ澄まされていくのがわかるほど繊細になっていったそうです。
そしてよくよく考えたときに、東京の家賃は物凄く高い。
東京で1番重要なのが空間なのに、冷蔵庫にも洗濯機にも服にも意外にも多くのスペースを占領されていて、冷蔵庫や洗濯機のために家賃を払っているのか?と思ったそうです。
それから家電品や服の処分がはじまったそうですが、そうはいっても冷蔵庫の処分はやっぱり最後だったそう。
たまたま冷蔵庫を処分した時期が冬だったそうで、それほど不憫ではなかったそうですが。
夏場は、さすがに物が傷むので、その日に食べるものしか買えないそうで、でもそうすることによって無駄な買い物は当然しなくなるのだそうです。
そういった諸々はあったにしても、沢山のものを持つ物理的なリッチさでななく、ゆとりある空間をもつことのリッチさが、稲垣さんにとっては大切なことに変わってきたようです。
このことは、朝日新聞を退職する理由とも関わっていたようです。

朝日新聞を退職しようと思ったきっかけ

学校を卒業してからずっと、朝日新聞で積み上げてきた実績やキャリアは相当なもので、これを手放す勇気というか覚悟は相当なものだったのではないかと思いました。

やはり冷蔵庫のプラグを抜くよりも、会社とのつながりのプラグを抜くことがとっても難しかったとおっしゃっています。

そして退職しようと思ったきっかけや動機については、朝日新聞で稲垣さんが最後に連載されていた人気のコラム「電気をほとんど使わない生活」の最終回に綴られていますので、全文をそのまま転載します。

今回、とてもうまく書く自信がありません。でもとにかく一生懸命書きます。
私、朝日新聞を退社することになりました。このコラムも今回が最後になります。
念のためですが、理由は会社への不満などではありません。人生の後半戦をどう過ごすか、自分なりに考えた結果なのです。
得ること、拡大することばかりを考えて生きてきました。でも平均寿命の半分を過ぎたころから、来たるべき死に向かい、閉じていくこと、手放すことを身につけねばと思うようになりました。大変なギアチェンジです。そのための助走として会社員人生に50歳で区切りをつけ、もがきつつ再出発したいとずっと考えてきました。
そろそろ実行に移そうとしていたとき、思いがけずこのコラムを担当することになったのです。スタートはちょうど1年前。あのときを思い出すと、今も呼吸が浅くなり、胸が苦しくなる自分がいます。

朝日新聞は二つの大きな誤りを認め、その姿勢を批判するコラム掲載を拒んだことも明らかにしました。なぜそうなったかは考え続けねばなりませんが、世間にどう見られているかは明らかでした。「自分たちが正しいと思うことを主張するためには、事実を曲げることもいとわないのか」
口をぱくぱく動かしても言葉が出てこなくなりました。信用のない人間が書くもっともらしいことなど誰が読むでしょう。お前何様やという声が聞こえてきます。
奇策しかありませんでした。「自分のことを書く」。アフロにしたら突然モテ始めたというバカバカしい実話をつづりました。それこそ「お前誰やねん」という内容ですが、自分を笑うなら許されるかもと思ったのです。原稿を出したのは締め切り直前。編集長は驚き困っていたけれど「時間がない」と押し通しました。ゴメンナサイ。でも私がいちばん不安でした。
結果は思いもかけないことでした。
「元気が出た」とメールや手紙が大量に来たのです。闇の中、その声だけが灯台でした。その後も自分のことを書きました。薄っぺらい我が身をさらす恐ろしさ。批判もありました。でも世の中のことであっても「だれかのこと」でなく「自分のこと」として、せめて泣きたくなるような実感をつづらねば相手にしてもらえないと追い詰められた気持ちだったのです。
振り返れば、わからないということ、だから悩むのだということ、苦しいが生きていかねばならないということ――そんなことばかり書いてきた気がします。そのたびに多くの感想を頂きました。悩みや体験がつづられた一つ一つの文章に人生がありました。何度も読み返しました。
28年の記者生活でこれほどの反響を頂いたことはありません。一体なぜなのか。
もしかして、私はマスコミにいながらコミュニケーションをしてこなかったのかもしれない。新聞とは正しいことをキチンと書いて伝えるものだと思ってきました。でもそうしてがんばって書いた記事の反響は驚くほど少なかったのです。わずかな反響は苦情と訂正要求。「正しいこと」には別の「正しいこと」が返ってくる。それは果たしてコミュニケーションだったのか。
自分のこととして世の中を見たこの1年、痛感したのは何が正しいかなんてわからないということです。皆その中を悩みながら生きている。だから苦しさを共有するコミュニケーションが必要なのです。なのに分からないのに分かったような図式に当てはめて、もっともらしい記事を書いてこなかったか。不完全でいい、肝心なのは心底悩み苦しむことではなかったか。

そして、新聞は誰に読まれているのかを初めてリアルに見た1年でもありました。路上で、電車で、店で、山で「朝日新聞の人?」と声をかけてくれた方は中学生からお年寄りまで泣けてくるほど多彩でした。人々が分断され攻撃的な言葉をあびせあう今、これほど広い人に読まれる新聞は奇跡です。ああそこから離れる寂しさよ!
人生はいつも、失うときに初めて肝心なことに気づくものなのかもしれません。
でも、寂しさを抱きしめて生きていこうと思います。寂しいから人はひかれ合う。きっと新たな出会いがあると信じて。
出典:http://www.asahi.com/articles/ASH975CJLH97ULZU00B.html

現在の稲垣さんとこれから

朝日新聞を退社してから、家賃が払えないからと、これまで住んでいた高級マンションから、築45年のこじんまりとしたワンルームマンションにお引っ越しなさって、念願の新生活を始めていらっしゃいます。

以前の、久米さんとの対談でも話していらしたように、お金や電気などあるものがなくことに対して、私たちは物凄く不安になってしまいます。

けれども、最初からないとおもえばそれほど不安にはならないと。

そして今後、私たちのを取り巻く経済状況がどんどん厳しいものになっていくことが予想される中、これは稲垣さんだけが考える個人的レベルの問題ではなく、個人個人が考えていかなくちゃいけない日本の課題だろうと久米さんもおっしゃっていました。

稲垣さんは、会社という大きなプラグを抜いてしまったけれど、これは仕事をしないという意味ではなく、どこかに所属するような働き方はしないということのようです。

そして、会社とのプラグを抜いてしまうと、社会とのつながりが断絶されてしまうように感じるかもしれないけれど、2日に1度通う銭湯や、買い物するスーパーなど、コミュニケーションの場所はいくらでもあって、社会と断絶することはないと。

以前は、お給料日になると当たり前に振りこまれていた給与がなくなって、当時はあまり嬉しいとは思えなく、どちらかというと減っていくことに意識がむいていたけれど、今は臨時収入的に入ってくる20,000円とかが嬉しくて、こういうのもいいな、と楽しそうにおっしゃいます。

そして番組の最後のメッセージも凄く感動的でした。

番組最後に流れた稲垣さんからのメッセージ

私たちは何かを手に入れて幸せになろうとしている。モノ。お金。そして健康。
でも、手にはいらなければ不幸なのか?例えば病人は不幸なのか?
だとすれば私たちは皆、不幸にまみれて一生を終るのだ。
だって、病と死からは誰も逃れられないもの。
でも本当は病人だって、モノやお金がなくたって幸せになれるはず。
肝心なのは何かを手に入れることじゃない。
ハッピーになること。
「ある」幸せがあるなら「ない」幸せがあったっていいじゃない。
そう考えると意外なほどに心は浮き立つ。人生は自由だ。
そしてどこまでも開かれている。
アーユーハッピー?

まとめと感想

ここでは、情熱大陸で放送された、元朝日新聞の記者、アフロヘアの稲垣えみ子さんのプロフィールや番組を見た感想をまとめています。

朝日新聞という、社会とガッツリと繋がる場所にいらっしゃったからこそ、その場所と繋がるプラグを抜くことは物凄い葛藤があったのではないかと思うのです。

でも、その思いよりも、これから先の閉じていくこと、手放すことを選んだ稲垣さんはきっと社会と繋がったプラグを通して、もう十分だと思える沢山のものを手に入れたのかもしれませんね。

私も稲垣さんと同世代。

バブル経済の中で、自分の働いたお金で、ブランド品を買ったり、良いところに住んだり、会社でキャリアを積み上げていくことがステータスだった時代です。

そしてそれはずっと続くと思っていたし、それが一生自分の宝になると思っていたけれど、そうではなかった。

当時は全く考えられなかったし、むしろそういうことはダサいと思っていた田舎暮らし。

そこで自給自足をするような暮らしが、今の私にとっては憧れの贅沢だと思える暮らしです。

まだまだ家電品は捨てることはできないけれど、社会のザワザワしたところと少し距離を置くだけでも、五感が繊細になってきますね。

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