岩田雅裕(いわたまさひろ)医師が地位を捨て、収入を5分の1にしてでも選んだものは何なのか?
2/21(日)の情熱大陸は、口腔外科医として、また歯科医師業界初のフリーランスとして、収入は5分の1に減り貯金や退職金も全て食いつぶしでも、東南アジアで子供たちを救うため無償で治療をする日々を追う年間300の手術をこなす口腔外科の岩田雅裕(いわたまさひろ)さん特集です。
岩田雅裕(いわたまさひろ)医師プロフィール
- 名前:岩田 雅裕〔いわた・まさひろ〕
- 生まれ年:1960(昭和35)年
- 学歴:1986(昭和61)年 岡山大学を卒業
- 出身地:兵庫県
- 職業:フリーランス医師 顎顔面口腔〔がくがんめんこうくう〕外科医
大阪府内の総合病院で口腔外科部長を務めた後、2013年フリーランスに転身。
現在は依頼を受けた病院での診察や手術の傍ら、月に1週間は東南アジアへ足を運び、通算3千件以上の手術を無償で行ってきた。
活動は個人でおこない渡航費や滞在費は全て自費で賄う。
服装がカジュアル過ぎて「現地の病院内で警備員から静止される事も」とおっしゃる岩田雅裕医師ですが、大山激励賞を受賞されたときの奥様とのツーショットは、とてもステキです!
ちなみに、奥様のお名前は宏美さん。
1981年10月生まれの34歳で、彼女もまた歯に関わるお仕事の方。
大阪学院専門学校(歯科衛生士専門課程)を卒業され、歯科衛生士として勤務していらっしゃいました。
2007年にカンボジアの小児病院を訪ねていらして、その時に岩田医師と出会ったのかな?と。
現在の宏美夫人は、岩田医師の医療支援活動を世の中に広く知ってもらい、活動範囲を広げていきたいという崇高な志のもと、非営利団体、一般社団法人ウィズアウトボーダーを設立し、代表理事に就任していらっしゃいます
大山激励賞とは
発展途上国で長年 医療協力に尽くし、特に感染症対策に尽力した医療関係者を対象に「大山健康財団賞」を、また同賞に準ずる功績があり今後一層の活躍が期待される医療関係者に贈呈されるものです。
岩田雅裕(いわたまわひろ)医師経歴
◆1986(昭和61)年 岡山大学を卒業
◆1988(昭和63)年3月~2015(平成27)年3月の27年間、多くの病院の口腔外科で活躍。
その間の主な勤務先は以下。
- 岡山大学附属病院 口腔外科
- 広島市民病院 口腔外科
- 岡山赤十字病院 口腔外科
- 琵琶湖大橋病院 口腔顎顔面外科
- 岸和田徳洲会病院 顎顔面口腔外科
- 宇治徳洲会病院 口腔外科
◆大阪府内の創業病院で口腔外科部長を務める
◆2013(平成25)年に退職し、フリーランスに
◆カンボジア王国シェムリアップ市のアンコール小児病院で無償の医療活動を続ける
⇒ http://www.fwab.jp/hospital/hosp_about.html
【現在の国内での主な勤務先】
◆サンズデンタルクリニック(大阪府岸和田市)
◆宇治徳洲会病院(京都府宇治市)
こちらでご覧になれます。
⇒ http://www.masahiroiwata.com/#!out/c22xp
この中には、 口腔外科医が?っていう手術がいくつかありました。
◆甲状腺手術
◆鼻ポリープをはじめとする鼻の手術
◆外耳先天異常手術
◆扁桃手術
フリーランスになったきっかけ
2001(平成13)年、岩田医師は、旅行目的でカンボジアを訪れました。
この旅行中、NPOが運営する小児病院に立ち寄ります。
そして数か月後に再訪した際、執刀の依頼を受け、これが活動のきっかけとなったのだそうです。
ベッド数は全く足りず、検査機器も充分ではない、医療施設とも呼べない建物。
屋外や学校の机上で診察が行われることもある過酷な現状を見て、放ってはおけないと感じたそうです。
口の中に発生するさまざまなトラブル。
ごはんが食べられなくなったり、連日の激しい頭痛。
虫歯の膿の溜まる場所によっては、脳にまで達して、死に至らしめることすらあるのだそうです。
ところが、医師や医療機関の不足に加え、カンボジアの平均月収は1万円にも満たないという深刻な貧困。
これが、途上国の人たちは満足な治療を受けられない理由です。
そんな人たちを助けたいという一心で、岩田医師はカンボジアへ向かったのでした。
年収が5分の1とは?
歯科医師(50代)の平均年収は1,600万円前後と言われています。( 平均年収.jpより)
それが5分の1に減ったとのことですから、単純計算で年収320万円。
月収に換算すると26万円ほどになってしまうようです・・・
番組内容は
カンボジア・シェムリアップ。
世界有数の貧しいこの国で、無償で治療や手術などの医療活動を続けているのが岩田雅裕(いわたまさひろ)さん。
ベッド数が極端に不足し検査機器も充分になく、屋外で診察が行われることもある過酷な現実を見て、年に数回カンボジアで無償で手術をする生活を始めます。
やがて周辺国からも声がかかり、勤務医との掛け持ちに限界を感じ3年前にフリーランスに転身。
50歳を過ぎてからこの道を選んだ彼を突き動かしたものに迫ります。
最後に
日本はカンボジアにとって最大の援助国ではあるけれども、まだまだできることがある、と岩田先生。
日本は医療に関して とても恵まれた環境にあります。
衛生環境は最高レベル、医療機器は充実していて、スタッフも学習機関もそろっています。
でも、たった1つ器具が足りないだけでも、手術ができません。
カンボジアでは、そもそもの「標準値」が違います。
そこにあるものを使い、最善を尽くすしかない。
日本の医師には、そのことをまず知ってほしいということ。
それからもう1つは、もっと夢を持ってほしいということ。
こういう生き方もあるんだな、というふうに感じてほしい、と岩田医師は締めくくっていました。
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