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今村彩子さんはドキュメンタリー映画の監督。
難聴の当事者として被災地の聴覚障害者を取材するなど、高い評価を得てきた今村彩子さん。
今回の「ろうを生きる」では、2016年春公開の新作ロードムービー「Start Line(スタートライン)」制作にあたっての旅がくれた生きる勇気に迫ります。
Start Line公式ホームページ⇒ http://studioaya.com/startline/

 今村彩子

オッフィシャルサイトより出典

「Start Line(スタートライン)」制作のきっかけ

今回の「Start Line」の制作に取り組むきっかけになった想いは、映画監督として、一人の人として、次のステージに進むためには、これまでの作品の底辺に流れていながらも、
直視することを避けてきた「コミュニケーション」に対峙するしかないと心を決めたこと。
監督業16年目のことだったそうです。
突然の不幸が相次ぎます。
お母様とおじい様の死。
2014年、今村さんを支えてきたお母さま加代子さんの死に、今村彩子さんは打ちのめされ、気力をなくした日々が続きます。
当時は、いつしか死んでもいいとさえ思うようになっていたそうです。
そんなある日、クロスバイク(スポーツ自転車)に乗った時のこと。
全身で感じた風が、次第に彼女を覚醒させていきます。
「死を思うくらいなら、夢だった日本縦断をしよう!」思い立ったら、もう止まらなかった。
「自転車で日本中を旅する×コミュニケーションをテーマに新しい作品を撮る」
二つの夢が重なり、一つになった瞬間だったようです。

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『Start Line』クランクインまで

新しい作品を撮るために、今村彩子さんは愛車GIANTグレートジャーニー号を入手します。
数々のドキュメンタリー作品を手掛けてきた今村さんですが、『Start Line』には、これまでと大きく違う点があります。
それは、自分自身が被写体(主人公)となって、スクリーンに自分のすべてを晒すという試み。
そして、伴走者でありカメラマンとの、二人三脚の撮影スタイル。
予測不能な行程。
何もかもが初めてだったそうです。
スポンサー集めに奔走しながら、インターネット上のクラウドファンディングでも出資者を募り、制作費の一部を調達。
こうして2015年7月1日、ついに出発、クランクインを迎えたのでした。
 

映画監督になったきっかけ

「映画監督になりたい」これが小学校時代の今村彩子さんの夢でした。
子どもの頃は、まだまだテレビ番組に字幕がついていなかったため、家族と一緒にテレビを楽しむことが出来なかったそうです。
寂しそうにしている彩子さんを見て、お父様がビデオレンタル店で字幕付き洋画を借りてくださいます。
初めて見た映画が「E.T.」だったそうです。
宇宙人と少年の友情物語に感動した彩子さんは、大人になったら、多くの人に元気や勇気を与えるような映画を作りたいと思うようになり、これが映画監督としての道を歩んでいくきっかけだったようです。
19歳の時にアメリカに留学し、映像制作の技術を学びます。
帰国後、バイト代で買ったビデオカメラでドキュメンタリーを撮り始め、それが現在に至っています。
取材をきっかけに出会った人々は150人以上。
少しでも多くの人たちに彼らの夢や想いを届けたい。
そして、一人ひとりが自分らしく生きることのできる社会を作っていきたいと思っていますと。

今村彩子プロフィール

今村彩子plo
オッフィシャルサイトより出典
名古屋市生まれ Studio AYA代表
ひつじ年のおひつじ座・B型
愛知県立豊橋聾学校高等部卒業/愛知教育大学教育学部卒業
大学在籍中にダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業第18期生としてカリフォルニア州立大学ノースリッジ校に留学し、映画制作を学ぶ。
二十歳からドキュメンタリーを撮り続け、全国各地で講演・上映活動を展開中。
初の長編ドキュメンタリー「珈琲とエンピツ」(2011)は好評で全国各地で劇場公開及び自主上映されている。


現在は、名古屋学院大学・愛知学院大学で講師をする一方、ドキュメンタリー映画制作で国内だけにとどまらず、アメリカやカナダ、韓国、ミャンマーなど海外にも取材のために足を運んでいらっしゃいます。
主な作品である「珈琲とエンピツ」(2011)は全国の劇場で公開されました。
東日本大震災の被災した聞こえない人を2年4ヶ月間取材し、「架け橋 きこえなかった3.11」(2013)を制作。
全国各地で上映・講演活動をなさっています。

 

映画祭での上映歴

2014年5月
ドイツ・フランクフルト日本映画専門映画祭<ニッポンコネクション>
「架け橋 きこえなかった3.11」上映
2014年3月
3.11映画祭(東京)
「架け橋 きこえなかった3.11」上映
2013年11月
イタリア・ローマCINEDEAF映画祭
「架け橋 きこえなかった3.11」招待上映
2013年10月
第19回KAWASAKIしんゆり映画祭
「珈琲とエンピツ」上映

受賞歴

2014年5月 ドイツ・フランクフルト日本映画専門映画祭<ニッポンコネクション>
「架け橋 きこえなかった3.11」ニッポンビジョン部門 観客賞3位
2011年12月 第48回ギャラクシー賞CM部門入賞  CM トキワ鉛筆 / 伝えたい(120秒)
2010年10月
社団法人全日本シーエム放送連盟
2010 50th ACC CMフェスティバル「北陸・中部地域テレビファイナリスト」受賞
CM トキワ鉛筆 / 伝えたい(120秒)
2010年9月
日本民放連盟賞「CM部門」優秀賞受賞
CM トキワ鉛筆 / 伝えたい(120秒)
2008年11月
日本財団法人ソロプチミスト「社会人ボランティアの部」受賞
2008年6月
文部科学省選定作品に選ばれる
映画「サラリーマンライフ ~ろう者と聴者が共に働く職場づくり~」
2006年1月
文部科学省選定作品に選ばれる
映画「ユニバーシティライフ ~ろう・難聴学生の素顔~」
2004年2月
聴覚障害者映像フェスティバル大賞受賞
映画「ユニバーシティライフ ~ろう・難聴学生の素顔 第1部~」
2002年1月
第4回名古屋ビデオコンテスト優秀賞受賞
映画「こころのつぼみ ~エンジェルズの軌跡~」
2001年1月
第3回名古屋ビデオコンテスト優秀賞受賞
映画「めっちゃはじけてる!豊ろうっ子 ~愛知県立豊橋ろう学校の素顔~」
 

「架け橋 きこえなかった3.11」

つい、昨日。
震災から5年が経って、あちこちで行われた追悼の式典をテレビでみたばかりです。
当時は、いつテレビをつけても、どのチャンネルに番組をあわせても、震災一色でした。ただ、それは、視聴者にとって都合の良い場面だったり、情報操作されたものであることは明白で、テレビに映し出されていないことの方が真実であることは、誰にでも想像できたと思います。
そんな震災から11日後、「目で聴くテレビ」(手話と字幕で情報を伝えるCS放送番組)のスタッフとともに映画監督、今村彩子さんは被災地の宮城へ向かいます。
生々しい傷あと、がれきの山、余震で震える人々。
そして、避難所で出会ったろう者たち。
今村さんは彼らの「津波の警報が聞こえなかった」という言葉に衝撃を受け、すぐに取材を開始、29分の番組を完成させて、放送しました。
なかなか見えてこない報道の一環に、ろう者や身体に障害がある人々が震災をどのように知って、どう避難したか、という事実があります。
今村さんはこの事の重大さに気づき、地元に帰り地域で上映活動を試みました。
そして「被災地にも聞こえない人がいたことに気づかなかった」
「聞こえない人のニュースがほとんどなかったから、見ることができてよかった」
という感想を伝えることの意味と、知らなかったことを知ることの大きさを再確認します。
その後2011年3月から12月までに4回被災地へ取材を行い、『架け橋』第4弾まで制作。
この四作品をシリーズ化にしたドキュメントが、『架け橋 ~きこえなかった3.11~』と題て、国境をこえたあらゆる場所で放映されている作品です。
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