別所キミヱ(べっしょきみえ)選手は、車椅子卓球で世界ランキング7位の記録保持者でリオパラリンピックではメダルが期待されている選手です。
世間からは「バタフライマダム」ともよばれている、車いす卓球界不動の女王。
とはいえ、別所キミヱ選手の年齢は68歳。
普段は、周囲を笑いの渦に巻き込む「関西のおばちゃん」ですが、ラケットを持てば鬼のような形相に、と言われていますが、ちっとも鬼のようではなく、とても魅力的でチャーミングな女性です。
普通に考えれば、世界の一線で戦い続ける事は難しい年齢なのかもしれませんが、ここではそんな別所キミヱ(べっしょきみえ)選手について、卓球を始めたきっかけや旦那さんや子供さんなど家族について調べてみました。
別所キミヱさんのプロフィール
名前:別所キミヱ(べっしょ・きみえ)
出身地:広島県
生年月日:1949年
学歴:広島県立加計高校卒業
兵庫県立障害者高等技術専門学院宝飾工芸科修了
職歴:敷島製パン(結婚前)、日本郵便(現在)
本も出版さっていました!
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別所キミヱさんの経歴と夫や子供は?
別所キミヱさんは、1949年に広島県に生まれ、結婚後は兵庫県明石市に住んでいらっしゃいました。
2人の男児に恵まれ、何不自由なく暮らしていましたが、40歳のときに夫を病気で亡くします。
当時、息子さんたちは高校2年生と3年生だったそうです。
さらにそれから2年後、42歳のときに仙骨巨細胞腫を発症、2度の外科手術の末、両足の自由を失い、車いす生活を送るようにりました。
卓球を始めたきっかけは?
卓球を始めたきっかけは、たまたま目に留まった新聞記事の障害者卓球の記事でした。
もともと健常だった別所キミヱさんは、1989年42歳のときに、「仙骨巨細胞腫」という病気にかかりました。
仙骨は骨盤の一部でお尻の上の平らな部分。
背骨を直に支える部分の骨で、この部分に巨大な骨腫瘍ができる病気でした。
通常は良性腫瘍の場合が多いのですが、悪性で再発すると、肺などに転移をすることがあります。
体調の異変に気が付いたのは、足腰が痺れ、痛みを感じ始めた1989年。
いくつもの病院を渡り歩いても、診断がつかず、半年後にようやく「仙骨巨細胞腫」と判明し、それは悪性つまり癌。
1990年に1回目の手術。
翌年、1991年に再発のため2度目の手術を行い、その結果車いす生活を送ることになりました。
それ以後、現時点では再発等は見られないようですが、肺転移がないかを確認するために、毎年1度の通院・経過観察を続けられているそうです。
身体が不自由になりましたが、生活のために復帰後パートとして働き始めます。
失意のどん底にありましたが、友人の励ましを受けながら、徐々に元気を取り戻し、外に出かけることができるようになっていきます。
そんな時、たまたま新聞記事で見つけた障害者卓球の記事に目がとまります。
別所キミヱさんは、もともと学生時代からスポーツ好きで、結婚後もバレーボールやソフトボールなどを続けていらっしゃったのです。
どんどん卓球にのめり込み、最初はできないことを嘆いてばかりいましたが、一つ一つ出来るプレーが増えていくことに喜びを感じ、気付けば卓球一色の人生になっていたそうです。
最初はリハビリにいいかな、くらいの軽い気持ちで始めた障害者卓球ですが、始めてわずか6年後にいきなり全日本で優勝するという快挙をなしとげます。
その翌年には、日本代表としてアジア大会に出場するも、完敗。
持ち前の負けず嫌いと根性を発揮し、努力を積み重ね、ついに、2002年のUSオープンで優勝!
以後もアテネ・北京・ロンドンのパラリンピックに連続出場し、北京とロンドンでは5位に入賞しています。
現在は、車いす卓球世界ランキング7位を獲得し、世界的な車いす卓球プレーヤーの一人として知られています。
まとめと感想
今では、お子さん達も無事に独立して、お孫さんたちもいらっしゃいます。
リオパラリンピックでのメダルの獲得よりも、年齢を重ねても、また人生にどんな障害が待ち受けていても、それにふさぎこむのではなく、元気に楽しく自分らしく生きることはいくらでもできるというお姿を楽しみに拝見したいと思います。
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