愛知県岡崎市の「平成の駆け込み寺」と呼ばれる、浄土宗・西居院(さいきょういん)の住職廣中邦充(ひろなかくにみつ)さんが3/19のクロスロードにご出演なさいました。
住職の廣中邦充(ひろなかくにみつ)さんは「苦しんでいる子を早く助けてあげなければならない」
と、非行や家出、不登校や引きこもり、虐待やDV(家庭内暴力)といった様々な問題を抱え、行き場を失っている全国の少年少女を西居院(さいきょういん)で預かり、立ち直るまで生活を共にしていらっしゃいます。
和尚自身も不良少年で、そのとき真剣になって自分と向き合ってくれた高校の恩師と出会いによって、立ち直れた経験がおありなのだそうです。
ここでは、西居院(さいきょういん)の住所や住職・廣中邦充さんのプロフィールや経歴についてまとめました。
西居院の住所・電話番号
・住所:〒444-2106 愛知県岡崎市真福寺町西谷57
・電話:0564-45-3163
廣中邦充住職のプロフィール
- 氏名:廣中邦充(ひろなか くにみつ)
- 愛称:やんちゃ和尚
- 生まれ:1950年 愛知県岡崎市真福寺で西居院住職の次男として誕生
- 職業:浄土宗西居院第二十一代目住職、教育評論家
*弟子に浄土真宗真仏院住職の真仏という尼僧がいらっしゃいます。 - 学歴:大正大学仏教学部卒業
- 経歴:大学卒業後、ソニーに入社。
販売会社に出向し、全国トップセールスを記録。
退職後、塾、会社経営を経て、
1990年より浄土宗・西居院第21代住職。
書籍も出版なさっています。
住職になった経緯
住職・廣中邦充さんは、いまでこそ、少年たちを更生させていらっしゃるのですが、少年時代は今でいうヤンキーの走りだったそうですよ。
長ランにラッパズボンという服装に身をつつみ、地元ではかなりのワルで何度も警察の世話になっていたそうです。
いまではこんな服装の学生はさすがに見かけなくなりましたが、話体が中高生時代だった頃も、男子はこんな制服着ていました(笑)。
そんな廣中和尚ですが、高校時代の恩師の支えによって徐々に更生。
猛勉強して東大を受験しようとするものの、その年に入試がなかった為大正大学に入学。
大学時代は生計を立てるために講義の合間を縫っては、毎日遅くまでアルバイトに励む過酷な生活を送っていらっしゃったようです。
ヤンキーからいきなり東大を目指そうと思うのもスゴイし、そう思わせることが出来た先生もまた素晴らしいですよね。
大学卒業後はソニーに入社。
販売会社へ出向し、そこで全国トップの営業成績を記録しますが退社。
その後は独立して複数の企業を経営していらしたそうです。
1990年に、二十代目住職であったお父さまが病気で倒れ、寺を継ぐことを拒んだ長男に代わり邦充(くにみつ)さんが二十一代目住職に就任。
それ以降、1996年頃から自らが営む浄土宗・西居院(さいきょういん)寺で、心の問題を抱えた少年少女達を無償で預かるようになったそうです。
西居院で子供を預かるようになった経緯
塾経営者だった廣中住職が父親の跡を継いで西居院の住職になったのは90年。
ご長男の高校のPTA会長となり、不登校や退学者の多さに驚き、そうした子どもたちの多くが一人で夕食を済ませていることを知ります。
「お寺で一緒にご飯を食べよう」と誘ったのをきっかけに、95年から、問題行動のある子どもを預かるようになったそうです。
随分古い新聞記事ですが、お寺の役目について、以下のように語っていらっしゃいました。
「宗教者とはボランティアそのもの。死後の供養ではなく、生きるための手助けをするのが寺の役目。子どもたちを預かるのもその手助け。」家庭の平和の構築のため、『坊主よ、目を覚ませ』と言いたい」。と。
引用:毎日新聞 2006年8月24日 東京朝刊
現在の西居院は
西居院の住職・廣中邦充和尚のもとには、連日のように少年少女やその両親から、手紙や電話で相談が寄せられているそうです。
そして、それは相談というよりも、「心の叫び」とでもいった内容だそうで、西居院での生活を待つ子どもたちが、全国にはたくさんいるそうです。
ときには、どんなに遠くでも飛んで行き、廣中和尚は問題の解決にあたるとか。
住職でありながら、カウンセラーの資格も持つ廣中和尚は、これを“攻めのカウンセリング”と言っていらっしゃいます。
「今の時代は、“待ちのカウンセリング”では人は救えません。おじさんと友だちになろうよ、という気持ちで子どもに会いに行き、握手をして、子どもの性格や悩みをつかみ取るんです。また、私が自ら出向くことによって、僕のためにわざわざ来てくれたんだ、という信頼感を子どもは持ってくれます」と。
精神的にも体力的にも大変なことのように思えるが、廣中和尚は実に楽しそうにこの活動をなさっており、取材中もひっきりなしに携帯電話が鳴り、寺から学校に通う子どもたちから新学期の報告が入っていた。「はーっはっは」と破顔一笑で人の緊張を解く、天性の柔らかさとエネルギーを持った人だ。この存在感に触れるだけで、子どもたちの閉ざされた心は開いていくのだろう。また、自然豊かな寺の環境が子どもの心におよぼす影響も大きい。
「たとえば、15歳の現段階の素行が荒れに荒れていたとします。そこだけ解決しようとしてもうまくいきません。一本の時間軸を引き、そこから14歳、13歳、12歳と遡って順に“考察”していくんです。そうすると、万引きやイジメ、家庭環境の変化など必ずどこかにシグナルが出ている。これを“子どもの寂しさ”と呼んでいます。子どもは心の成長をそこで止めてしまう。そこまで遡らないと、解決の糸口はつかめません」
若者の未来より http://edu.career-tasu.jp/p/contents/parents/career/interview/interview10/
事前に親や先生から情報を得て準備をせず、子どものムードを見極めて判断しながら“考察”するカウンセリング手法を使っていくのだそうです。
お寺での共同生活について
西居院(さいきょういん)での生活は、「運動部の合宿所」のようだそうです。
「ごはん、できたよー」という、住職の奥様待子さんの掛け声で子どもたちは集まり、ジャージー姿の住職はビールを飲み始めたり。
合宿というより、親戚のおじちゃん的な感じですね。
勉強のこと、学校での出来事……それぞれが勝手に話し出し、試験前には徹夜で勉強する子もいるようです。
ちょっと耳が痛くなりそうですが、廣中住職は「子どもが問題を起こすのは100%、親が悪い」と言い切っていらっしゃいます。
子どもの成育歴を1年ずつさかのぼり、問題を起こした時の家庭の様子、環境の変化を詳しく聞き出し、子どもが問題を起こした原因を探るのだそうです。
「親が変わらなくてはならない」と言い、両親がいるのに、親がそろって相談に来ない時は預かることを断るそうです。
「親が中途半端な気持ちでは子は立ち直れない。子どもは十代になっても赤ちゃんの時と何も変わっていない。親は原点に返れ」と。
本気で更生させようとする場合には、一度、家庭を解体し再生させる必要があるのだそうで、廣中住職は、以下のように言い切っていらっしゃいます。
「寺にいる間、子どものことは、ぼくが全責任を負う」
なので、「門限を守る」「外泊しない」といった寺の決まりを子どもが破った時、容赦なく怒鳴りつけるそうです。
そのかわり、暴走族が連れ出そうとすれば、体を張って追い払い、暴力団との関係を断ち切るために、組長に直談判する。
子どもたちは、住職が命懸けで自分たちを守っていることを身に染みて感じ、それによって徐々に自立し始めるそうです。
また、廣中住職は、親から食費などの費用は一切、受け取らないそうです。
檀家(だんか)からの差し入れや住職の講演料が、ここでの全生活費。
お寺に受け入れた子どもたちはわが子と同じで、「親」が「子」の食費などの面倒を見るのは、当たり前のことだからだそうです。
まとめと感想
ここでは、西居院(さいきょういん)の住所や住職・廣中邦充さんのプロフィールや経歴についてまとめました。
現在は、3年前にわずらった癌の闘病中であるにもかかわらず、少年少女たちを救い続けていらっしゃる廣中和尚です。
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