齊藤慶輔(さいとうけいすけ)さんは、世界でも珍しい野生動物の獣医士。
3月26日のスイッチインタビューで、作家の上橋菜穂子さん(精霊の守り人原作者)と、命の神秘や自然と人間について語られます。
上橋菜穂子さん(精霊の守り人原作者)の記事は
⇒上橋菜穂子「精霊の守り人(綾瀬はるか主演)」原作者:SWITCHインタビュー
野生動物のなかでも、齊藤先生は世界で唯一となる野生の猛禽類専門の開業獣医師。
このページでは、ボランティアではなくプロとして20年にわたる経験と想像力で難題に立ち向かっていらっしゃる齊藤先生について、また代表を務めていらっしゃる猛禽類(もうきんるい)医学研究所について調べてみました。
目次
プロフィールと経歴
- 名前:齋藤慶輔(さいとうけいすけ)
- 生まれた年:1965年
- 出身地:埼玉県
- 本獣医畜産大学 野生動物学教室卒業。
幼少時代をフランスの田園地帯ベルサイユで過ごし、野生動物と人間の共存を肌で感じた生活 を送る。
94年より環境省釧路湿原野生生物保護センターで野生動物専門の獣医師 として活動を開始。
2005年に同センターを拠点とする猛禽類医学研究所を設立、 その代表を務める。
絶滅の危機に瀕した猛禽類の保護活動の一環として、傷病鳥 の治療と野生復帰に努めるのに加え、保全医学の立場から調査研究を行う。
近年、傷病・死亡原因を徹底的に究明し、その予防のための生息環境の改善を「環 境治療」と命名し、活動の主軸としている。
テレビ番組プロフェッショナル仕事 の流儀、ソロモン流、ニュースゼロなどで活動が取り上げられ反響を呼んだ。
著 書「野生動物のお医者さん(講談社)」で第57回産経児童出版文化賞を受賞。
世界野生動物獣医師協会理事、日本野生動物医学会理事、環境省希少野生動植物 種保存推進員。
役職
- 環境省 シマフクロウ保護増殖分科会検討委員
- 環境省 オオワシ・オジロワシ保護増殖分科会検討委員
- 環境省 希少野生動植物種保存推進員
- 日本野生動物医学会 理事(野生動物保全福祉担当)
- 世界野生動物獣医師協会(WAWV) 理事
- 野生動物救護研究会 理事
- 北海道ラプターリサーチ代表
- ワシ類鉛中毒ネットワーク副代表
- (財)クリステル・ヴィ・アンサンブル アドバイザー
著書・訳書
- 野生動物救護ハンドブック(共著) 1996 文永堂出版
- Raptor Biomedicine Ⅲ(共著) 2001 Zoological Education Network
- 生態学からみた野生生物の保護と法律2003(財)日本自然保護協会編 講談社
- 野生動物の医学(共訳)2007文永同出版
- 日本の希少鳥類を守る 2009 京都大学学術出版会
- 猛禽類学(共訳)2009 文永堂出版
- 野生動物のお医者さん 2009 講談社
- The eagle watchers (共著) 2010 Cornell University Press
- オホーツクの生態系とその保全(共著)2013 北海道大学出版会
こちらの書籍が、で第57回産経児童出版文化賞を受賞した「野生動物のお医者さん(講談社)」。
獣医師になったきっかけ
12歳までフランスの田園地帯ベルサイユで過ごした齊藤さんは、その頃から野生動物と人間の共存を肌で感じた生活を送っていたそうです。
ベルサイユといえば、最近では近代化された観光地でもありますが、当時は裏が森、前が牧場という環境の中で自然は遊び相手。
また、野生動物たちも、齊藤さんにとって非常に身近にいた生き物です
そんな齊藤さんは課外授業が大好きな少年で、動物たちのことを沢山話してくれた先生が獣医師さんだったのです。
そして、「登山中に出会ったイヌワシと、いつまでも一緒に生きたい」と思った事、と、課外授業の獣医師の先生との出会いが獣医師になったきっかけです。
齊藤さんにとって「野生生物は、一方的に守る対象ではなく、同じ地球に住むお隣さんのようなもの。」と言う考え方は、治療に対するポリシーでもあり、現在、代表を務める猛禽類医学研究所のポリシーにもなっているようです。
齋藤獣医師の治療に対するポリシー
齊藤先生の元に運ばれてくる野生動物の多くは、自動車や列車にはねられケガをした鳥たち。
骨折、全身打撲、翼の損失や大やけどなど、ひん死の重傷を負ったものばかりです。
現場は、まさに救急医療そのもので、強制的な水分の注入や止血剤、ビタミン剤、抗生物質など命を救うためにありとあらゆる手を尽くします。
だけど、そんな齊藤先生が最後に信じているのは、野生動物が持つ”生きようとする力”。
齊藤先生は、ひん死の重傷を負ったワシに、あえて肉を見せる。
”生きる意志”を見るのだそうです。
「自分で治る力があるはずだから、それをアシストする。『治す』なんておこがましい事じゃない、手助けをするだけ。それが僕らの仕事」と齊藤先生は言い切ります。
診察中のエピソード
オオワシやシマフクロウを診察する際、必ず身に着けることにしているのが猛禽(もうきん)類診療用のバングル(腕輪)だそうです。
18年ほど前、大腿(だいたい)骨を骨折したオオワシが野生生物保護センターに運び込まれてきたときのこと。
ちょうど休日で、一人でこの大物の治療にあたります。
ジャケットと呼ばれる特殊な拘束衣を使ってワシが暴れないようにし、診療の妨げにならない薄手の革手袋を着用して診察に臨みます。
大型猛禽類を診る獣医師としての経験がまだ浅かった先生は、ワシの患部に気をとられ、鳥の行動や感情を読み取る努力を怠ってしまったと。
オオワシをあおむけに寝かせ、傷ついた左脚を診ていると、不意に左手首に激痛を感じた。
ジャケットが緩み、自由になったワシの右足の指が先生の左腕を掴(つか)んだのです。
鋭い鉤爪(かぎづめ)が革手袋ごと手首を貫通し、傷口から熱い鮮血が滴り落ちます。
右手を使って食い込んだ爪を引き抜こうとした瞬間、解放されたワシの左足の指が今度は、右手の自由までも奪い取り、手錠を掛けられたような状態が。
何分続いただろうか・・・
少しでも動こうものなら、ワシは本能的に掴んだ腕を絞り上げる。
床に広がって行く血溜(だ)まりを見つめながら、最悪の事態が頭をよぎり始めたとき、
ふと一枚のタオルが眼(め)に留まります。
先生は、とっさにそれを口でくわえ、オオワシの顔面目がけて思い切り投げつけた次の瞬間、ワシは先生の両腕を手放し、タオルに掴みかかったそうです。
一瞬の出来事
以来、猛禽を診る時、に先生は左腕には時計、右手首にはバングルを巻き、何度もワシやシマフクロウの鋭い爪をしのいできたそうです。
また、のでワシなどの猛きん類は、目を隠されると途端に大人しくなるので、鷹(たか)匠が使用する目隠し用の帽子をカザフスタンから取り寄せ、治療中におとなしくするために使用しているそうです。
そして目隠しされた鷹の治療時にポイントになるのは『声』。
目が見えず不安になっている鳥に必ず声をかけて治療を行うことによって、鳥が安心するからです。
「これから触るよ、治療するよ」と人間の言葉で語りかけながら治療をしていくのだそうです。
齋藤獣医師の苦悩と救われた言葉
齊藤先生が北海道で働き始めて二年が経った頃、異変は起きます。
外傷が全くないオオワシの死体が次から次へと運び込まれてきて、原因は鉛による中毒死でした。
ハンターに駆除されたシカをワシがついばみ、鉛弾の破片を一緒に飲み込んだことから、鉛中毒を発症していることがわかります。
このまま鉛中毒が広がれば、絶滅の危機に陥ると齊藤先生は直感します。
鉛の弾を毒性の低い銅などに代えてもらえれば、オオワシやオジロワシの悲劇は防げると、仲間たちと行政やハンターの団体に訴えますが、とりあってもらえないばかりか、思い出したくないほどの脅迫電話や抗議の手紙を受け取ったのだそうです。
どんどん運ばれてくるワシの死体に、絶望的な気持ちになっていたそうです。
そんな時、調査のため齊藤先生はサハリンに向かいます。
トラックが泥道で何度も動かなくなった時に、「ロシアは大変だね。予定どおりにはいかないね」と運転手に声をかけると、ロシア人運転手は片言の英語で
「決まった道はない。ただ行き先があるのみだ」
と答えたそうです。
その言葉にハッとしたのだそうです。
ワシを守るという目標さえ見失わなければ、必ず道は開ける。
帰国した齊藤さんは猛然と動き出し、鉛中毒のことを、あらゆる機会をとらえて訴えました。
すると、次第に鉛弾から銅弾へ切り替えるハンターや、無毒の弾を教えて欲しいという問い合わせが増えていったのだそうです。
この取組があってから、北海道のシカ猟では実質的に鉛の弾は使用禁止になりました。
現在も野生動物のおかれた現実は厳しいけれど、だからこそ、進むべき道は、自分で作ればいいと。
こんな経緯も、齊藤さんが代表を勤める猛禽類研究所の取り組みにしっかりと反映されているのです。
猛禽類(もうきんるい)医学研究所とは?
猛禽類医学研究所は、保全医学をテーマとして活動する獣医療機関。
*猛禽類とは、タカ目、ハヤブサ目、フクロウ目の鳥の総称。
疾病または死体収容された個体の原因を探ることや、現場で調査をすることで、環境で起きている異変や人間が与えてしまっている影響などの問題を紐解き、具体的な対策の提案と実行も試みている機関です。
- 〒084-0922 北海道釧路市北斗2-2101
- 環境省 釧路湿原野生生物保護センター内
- Tel: 0154-56-3465
- URL:http://www.irbj.net/
- 代表:獣医師 齊藤慶輔
猛禽類医学研究所の取り組み
猛禽対研究所では、協力関係にある(財)クリステル・ヴィ・アンサンブルが行っているオオワシやオジロワシの鉛中毒を根絶するためのキャンペーン活動にも積極的に協力しています。
このキャンペーンは、「銃猟における鉛弾(ライフル弾、散弾)の使用禁止を今すぐ、全国で」というキャンペーンで、環境省あてに賛同者の署名を集めているところです。
国の天然記念物であるオオワシやオジロワシなどの猛禽類の大量死。
死因は鉛(なまり)中毒です。
オオワシは、銃猟の際に撃たれたエゾシカの死体と一緒に鉛弾の破片を食べ、鉛中毒になり大量に死亡しているのだそうです。
北海道では2004年からヒグマを含む全ての大型獣の狩猟で鉛弾の仕様が禁止になり、2014年からはエゾシカ猟の際に鉛弾を「所持」することが条例で禁止されました。
しかし、誤食による野生動物の鉛中毒を根絶するためには、全国規模で猟銃に使われる鉛弾を帰省し、無毒の銅弾などに移行することが必要と考えられています。
とても心が痛い映像が公開されていました。
https://vimeo.com/112560933
出典:URL:http://www.irbj.net/
獣医師としての熱い思い
釧路湿原の中にある齊藤先生の診療所には、北海道中から傷ついた野生動物が運ばれてきます。
治療の対象は、絶滅の危機に瀕したシマフクロウやオオワシなどの猛禽類。
広げると2メートルを超える大きな翼、鋭いクチバシや爪を持つ野生動物を相手にしなければならなくて、ペットや家畜と違い、野生の猛きん類の治療に教科書はないのだそうです。
試行錯誤を重ね、自ら治療法を編み出してきたからこそ、野生動物と向き合う時、覚悟をもって臨むのだそう。
「動物の前にいるのは自分しかいない。最良を目指し、最善を尽くす」
野生動物の命をつなぎ止めるために、自らを追い込み、全身全霊で治療にあたるそうです。
これはエピソードからも伺えますね。
それに、齊藤先生の仕事は、治療だけでは終わりません。
最終的な目標は、鳥を野生に帰すこと。
ケージと呼ばれる専用の施設で衰えた筋力を回復させ、同時にメンタル面のリハビリを目指すそうです。
ケージに不用意に近づかず自然環境にさらすことで、人間に慣れ鈍った警戒心を呼び覚ますのだそう。
それでも、野に戻せるのは、運ばれてくる鳥の2割ほどに過ぎません。
さらに自然に適応できず、再び救出されるものも少なくありません。
それでも齊藤先生は、鳥たちを野に放ち続けます。
それは、傷の完治ではなく、野に放つことが野生動物の獣医師としてのゴールだと信じているから。
「人間が判断して、野生復帰は無理だとあきらめてしまえば、それで終わってしまう。少しでもチャンスのあるうちは、野のものは、野へ帰してやりたい」と。
先生は、猛禽類の「必死で生きているところ」が好きだそうです。
彼らはカツカツのところで、必死に生きている、と。
生態系の頂点にいて、強そうに見えるワシたちも、野生の世界は、みんな懸命に生きている。
さらに、渡り鳥にとって、例えば夏に海の向こうに帰って、次の冬に北海道に帰ってくると、
「あれ? 前あった森がない!」とか、
「あれ、こんなによく通るところに電線が通っている」とか
「あれ、ボクラの通り道に風力発電の設備ができている。ブレードに巻き込まれてしまいそうだよ!」とか
とにかく、急激に前年住んでいた場所の環境が変わっていることがあって、厳しい状況のようです。
それでも、なんとかその中でサバイバルするしかない鳥たちを見ていて、「必死に生きている」と齊藤さんは感じるのだそう。
それでも、ワシたちは、しんどくても絶対にそれを表に出さないという。
倒れてしまう一歩手前まで、外から見ると元気なのかと間違うくらいにピンと立っていて、人間の姿が見えなくなると、とたんにヨロヨロしたり。
敵の前では絶対に弱みを見せない、野生の宿命というか、誇りの中、生きているすがたが好きなのだそうです。
まとめと感想
ここでは、2016年のスイッチインタビューで、作家の上橋菜穂子さん(精霊の守り人原作者)と、命の神秘や自然と人間について語られた、野生動物の獣医士・齊藤慶輔(さいとうけいすけ)さんついてまとめています。
私も動物が大好きで、自然豊かな場所で沢山の動物たちと暮らすことが夢。
今はペットとして室内の安全な場所でねこやうさぎを飼っているのですが、必要に応じて、動物病院にはよく足を運びます。
下半身不随のネコや思い病気のネコを保護して、先生と一緒に精一杯のことをしても、どうにもならない経験がいくどもあり、そんな自分の想いが、リンクしてしまいました。
また、近所の動物園には、当然猛禽類もいますし、私の住む近くにはふくろうが生息する場所があります。
もう少し暖かくなったら、そんな猛禽類たちに会いに行こうと思います。
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