フリー眼科医の服部匡志(はっとりただし)先生が、5月19日のカンブリア宮殿の主人公。
服部先生は、眼科の手術で世界レベルの腕を持っているにもかかわらず、月の半分を日本で稼ぎ、残りの半分はベトナムに渡って貧しい人々を無償で治療する、現代の「リアル・赤ひげ先生」。
そんな服部匡志(はっとりただし)先生について、プロフィールや眼科医になるまでの経緯、そしてベトナムで治療をする理由について調べてみました。
*赤ひげ先生とは、江戸時代の小石川診療所の有名なお医者様で、とても優しく、貧乏な人からはお金を受け取らず、また、他の医者が嫌がる様な病気の人でもこころよく診察していた先生です。
プロフィール
・名前:服部匡志(はっとりただし)
・生まれ:1964年 大阪府出身
・1982年、大阪府立四條畷(しじょうなわて)高等学校卒業
・1993年、京都府立医科大学医学部卒業
服部先生が医者を目指した理由
服部先生がお医者さんを目指したのは、高校生の頃です。
17歳の時に、お父さんを胃がんで亡くされてるのですが、16歳の時、父親の見舞いに行ってナースステーションを通りかかった時、医師と看護師が話していたのを偶然、聞いてしまいました。
「82号室の患者は文句ばかり言って本当にうるさいやつだ。どうせ、もうすぐ死ぬのに」
この82号の患者さんとは、服部先生のお父様。
医師にとって父親は、多くの患者の一人にすぎないかもしれないけれど、服部先生にとっては、かけがえのないただ一人のお父様。
そして、命を委ねている医師から侮辱されているのを聞いてしまったのです。
医者は病気を治して命をつなぎとめてくれる神様のような存在だと思っていたけど、こんな医師がはびこっていては世の中はよくならないと憤り、そして「だったら僕がいい医者になってやる。そして、病気で苦しんでいる人に報いたい」と心底思ったこと。
これが医者を目指した理由です。
ところが、一般の家庭に育った服部先生は、勉強は得意ではなかったようで、4年間の浪人だけではなく大学では留年もされています。
もともとはお父様が胃がんだったこともあり、消化器内科志望だったそうですが、人生の師ともいえる木下茂教授眼科の医局説明会に行って眼科に決めたそうです。
その医局説明会が焼肉だったそうで、それに釣られていったそうなのです。
現在、木下教授は京都府立医科大学副学長になられています。
ベトナムに行ったきっかけは?
もともと、国際貢献とかには興味があって、いつかは世界に行こうとは思っていらしたようです。
それは、父親が亡くなる前日に書いた遺言でした。
父親は遺書をしたためていた。死の前日、朦朧とした意識の中で突然、ベッドから起き上がり、鉛筆でレポート用紙に書き残したものだった。
その手紙には、次の4つの言葉で終わっていた。
「お母ちゃんを大切にしろ。人に負けるな。努力しろ。人のために生きろ」
父親は、勉強しろと言ったことは一度たりともなかった。いつも説いたのは、人の役に立つ生き方だった。
「おやじから、社会に出るための基礎を学んだ」と服部氏は語る。
出典:http://seikaiourai.jp/1305/130534.htm#top
服部先生は、今もその鉛筆書きのレポート用紙を大事にしまっているそうです。
また、浪人中に勉強していた図書館で、たまたまマザー・テレサの写真集に出会ったそうです。
写真集からはものすごいエネルギーが出ていて、どうしてこんなことが出来るのだろうと感銘を受けたそうで、
それ以後、図書館に行くたびに、まずそれを見て勉強したそうです。「僕もこんな風になりたい」と。
そもそも服部先生はボランティアするつもりはなかったのですが、2001年10月、世界から眼科医が集まる日本臨床眼科学会が開かれた時に聞いた、ベトナムの惨状を知ったことがベトナムに行くきっかけです。
まず一ヶ月滞在します。
しかし、日本で勤務していた病院からは「ボランティアするなら病院を辞めろ」と言われたから辞めたそうなのですが、当時の服部先生の月収は200万円位。
年収が、何千万と言う金額だったために、辞めるとなるとそれはやはり勇気がいったそうです。
これが、ベトナムでの無償治療のきっかけでした。
ベトナムの現状は?
「ハノイ、ホーチミンは大体、僕がいなくてもカバーできるようになったが、課題は地方だ」。
と現在は、服部先生の努力のおかげで、重症患者も少なくなっているようですが、当時はベトナムでは重症の患者さんが多くてとても大変だったそうです。
理由は貧しい患者が多く、症状が悪化してから病院にくるため。
だから手術の割合は、日本より断然高く、手術で一番多いのは白内障だそうです。
ベトナム戦争のころには短かった平均寿命が延びていることが原因の一つかもしれないし、紫外線の影響も考えられるそうです。
また、同じように、患者さんが急増しているのが糖尿病網膜症だそうです。
・糖尿病網膜症とは、糖尿病が原因で目の中の網膜が障害を受け、視力が低下する病気 で、進行すると、網膜剥離(はくり)や緑内障などの病気を併発し、失明に至ることもあります。
服部先生は、ベトナム料理は生春巻きやフォーなど、野菜が豊富で高カロリー食ではないから、ベトナムには糖尿病の患者はほとんどいないと思っていたそうです。
ところが、予想以上に食事の欧米化が進んでいて、あるデータでは、都市部の3人に1人が糖尿病だそうです。
しかし、糖尿病はベトナムではあまり知られていないため、治療が一向に進んでいない状態で、失明してしまう患者さんが後を絶たそうです。
また、想像以上に医療環境が整っていなかったことも大変だったようですし、国家の制度の違いによる医師とか看護師の意識の低さもご苦労なさったようです。
社会主義の国では、働いても働かなくても給料は同じ。だったら今までどおりでいいじゃないか、という考えが蔓延していて、彼らの態度は面倒くさいという雰囲気が漂っていたそうで、診察は午前中だけ、午後2時まで昼寝付きの昼食、その後午後4時半まで片づけて帰ってしまうという感じだtったそうです。
服部匡志先生は、まず、その人たちの意識を変えようとしました。
何度も、病院スタッフに話されたそうです。
「もし自分の親や子供が病気だったら、君たちは手術をキャンセルしたり、時間外だからといって追い返したりしないはずだ。患者にも大事な家族がいる。本人も人生をかけて病院に来ている。どの患者も必死だ。君たちは、多くの人の期待と願いを背負っていることを忘れるな」
この言葉が徐々に効いて、スタッフの意識が変わったそうです。
今後の服部匡志先生は、ベトナムの地方都市や、ミャンマーなどにも医療支援をしていくつもりだそうです。
服部先生が出版されている本もありました!
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