2月5日のファミリーヒストリーは、サンフランシスコ生まれの日系2世ジャズトランぺッターの森山久さんを父に持つ森山良子さんの特集でした。
森山良子さんと言えば、森山直太郎さんのお母様。
でもそれだけではなく、かまやつひろしさんが従兄(母どうしが姉妹)だったりもします。
そして、その森山良子さんのお父さま森山久さんについての番組で、苦悩されたという対米謀略放送とかローズ裁判とかの話がでてきました。
そこで、ここでは、対米謀略放送とかローズ裁判について調べてみました。
ファミリーヒストリーの番組内容は
明治時代、良子さんの祖父は、写真修業のためアメリカに渡った。
一方、アメリカ生まれの父は、戦前の日本に来て、2世ジャズマンとして活躍。
しかし、戦争が家族を思わぬ運命に巻き込んでいく。
父が戦争中に関わった対米謀略放送。
そして戦後の東京ローズ裁判。
2つの祖国のはざまで、苦悩する父の姿が、はじめて浮き彫りになる。
また、良子さんの曽祖父が、森鴎外や松本清張と意外な結びつきを持っていたことも明らかになる。
というものでした。
森山良子さんのお父様、森山久さんについて
まず、19世紀の終わりから20世紀の初頭にかけて、貧困から逃れるため、大勢の日本人がアメリカへとわたっていっています。いわゆるアメリカ移民。
そうした中に森山久さんのお父さん、つまり森山良子さんの祖父がいらっしゃったのです。
その祖父は、かの地で写真術を学び、サンフランシスコで写真屋を始めました。
1910年 森山久さん誕生(もりやまひさし サンフランシスコ生まれ)←森山良子さんのお父さん
森山久さんはアメリカ人社会の中で、アメリカ人として育った。
けれど、アメリカ人たちは、日系二世のことを、アメリカ人とは思っていなかったそうです。
1929年、ウォール街で発生した株式の大暴落により世界大恐慌が始まります。
アメリカ人ですらマトモに仕事に就けない時代。
そんな時、「日本でジャズをやればカネになるぞ」という話が舞いこんで来ました。
この言葉を頼りに、1944年に、森山久氏は日本に渡ります。
当時の回想によれば、昼間はコロムビア・レコードのスタジオでトランペッター、夜は赤坂の溜池にあった伝説のジャズ・ホール「フロリダ」で歌っていたそうです。
昭和12年には日本初のブルース(いわゆる淡谷のり子系のジャパニーズ・ブルース)のレコード「霧の十字路」をコロムビアから発売。
そのうち、日中戦争が勃発し、日本は急激に戦時色が濃くなっていきます。
ジャズという音楽は不要不急の音楽であり、軽薄な音楽だとみなされ急激に下火となっていったのです。
ここで「ローズ裁判」の主役になったアイバ戸栗さんが登場します。
アイバ戸栗さんは、医者を目指してカリフォルニア大学院に在学していました。
ところが1941(昭和16)年7月、発病した叔母の見舞いのため、日本へ。
初めて訪れた日本という国を、彼女は決して好きにはなれなかったようです。
アメリカのパスポートを正式に取得しないまま日本に来てしまった彼女は、12月2日にロスに向かって出航する予定だった浅間丸に乗りそこねます。
そうこうしているうちに12月8日、太平洋戦争が勃発してしまったのです。
彼女は敵国の中にひとり、置かれることになります。
アイバ戸栗さんは、周囲にすすめられた日本人帰化も断り、そのまま「日本人の顔をしたアメリカ人」として、敵地で生きてゆくことになります。
一方、森山久さんは、日本人帰化を受け入れました。
森山久さんは日本での生活が長くなりすぎて、知人も増え、アメリカに帰っても失業するだけだと考えたようです。
実際にはこの頃のアメリカでは、日系移民はすべて収容所に入れられていたのだとか。
1943(昭和18)年、NHK海外局のタイピストとしてパート勤務していたアイバ戸栗さんは、思いもかけぬ申し出を受けます。
NHKがアメリカ兵に対して行っていた一連の謀略放送のアナウンサーをやってほしいというものでした。
これが、次の「ローズ裁判」に繋がっていきます。
対米謀略放送とかローズ裁判とは?
日本政府は太平洋戦争中、「ラジオ・トウキョウ放送で、イギリス軍やアメリカ軍、オーストラリアをはじめとする連合国軍向けプロパガンダ放送を行っていました。
*プロバカンダとは、特定の思想によって個人や集団に影響を与え、その 行動を意図した方向へ仕向けようとする宣伝活動の総称で、特に、政治的意図をもつ 宣伝活動をさすことが多いようです。
1942年(昭和174年)2月に軍当局の発案で、連合国軍捕虜のラジオ放送の専門家を使う事にし、そして、始まったのが「ゼロ・アワー」。
音楽と語りを中心に、アメリカ人捕虜が連合国軍兵士に向けて呼びかけるというスタイルを基本とし、1943年(昭和18年)3月から、1945年(昭和20年)8月14日まで放送され、太平洋前線のアメリカ軍兵士らに評判となりました。
英語を話す女性アナウンサーは何人もいたようですが(女性アナウンサーは4人から20人ほどいたという証言も)、いずれも本名が明かされることはなく、愛称もつけられていませんでした。
そこで、魅了する声や口調で、「今頃あなた達の奥さんや恋人は他の男と宜しくやっている」など、とげのある内容を話す声の主に、アメリカ兵が「東京ローズ」の愛称をつけていたそうです。
終戦後、「東京ローズ」の正体探しを始める外国人記者達。
そこで浮上したのが、ロサンゼルス生まれの日系2世・アイバ戸栗郁子(とぐりいくこ)29歳でした。
アメリカ人であるアイバ戸栗郁子は、1941年、叔母を見舞うため、両親の祖国である日本に初めて渡ってきたのですが、その直後、太平洋戦争が勃発。
帰国の機会を失い、滞在費捻出のため職を得たラジオ東京(現NHK)で、ディスクジョッキーに抜擢されていたのです。
報道によって、アイバ戸栗郁子さんは一躍時の人になりますが、それが悲劇の始まりでもありました。
アメリカ人でありながら、敵国・日本に加担したとして、アイバ戸栗郁子さんは逮捕され、サンフランシスコで「東京ローズ裁判」にかけられてしまったのです。
アイバ戸栗郁子さんは「自分は米兵の戦意喪失を図るような放送はしていない」と主張したものの、結局、女性としては史上初となる「国家反逆罪」で禁固10年・アメリカ国籍剥奪の有罪判決を受け、刑務所に服役することに。
その「ゼロ・アワー」の音楽担当に、森山良子さんのお父さまがいらっしゃったとするならば、それはものすごい苦悩だったことは、簡単に察することができます。
最後に、そんな森山良子さんのプロフィールと大好きな「セフィニ~愛の幕切れ~」の音楽映像をYoutubeで見つけたのでご紹介いておきますね。
森山良子さんプロフィール
- 名前:森山良子
- 生年月日:1948年1月18日
- 出身地:東京都
- 職業:歌手
家族構成
- 長男:森山直太郎
- 長女:元ミュージシャンの森山奈歩(ご主人はお笑いコンビおぎやはぎ)
下記画像が、長女の森山奈歩さん。
そしてそのインスタ内には、森山良子さんの画像も沢山収められているのですが、ちょっと笑えるご家族エピソード的な画像がこれ。
森山良子さんの孫ちゃんのお仕事でした!
こちらは森山良子さんの古い映像ですが、2曲めの「セフィニ~愛の幕切れ~」はいつ聞いても色あせない名曲ですね。
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